
1: 匿名 2025/12/30(火) 13:46:14.23 ID:??? TID:syoubainin 2025.12.30 12月30日に生放送される『第67回 輝く!日本レコード大賞』。年末恒例の音楽賞として有名だが、その出発点は業界の関心もほぼゼロ。“第1回”は、いかにして始まり、なぜ歴史を変えることになったのか。 佐藤剛 メリットも権威もなかった「第1回日本レコード大賞」 1959年12月16日。デビュー曲『黒い花びら』がレコード大賞に選ばれたという知らせを聞いた歌手・水原弘が、「レコード大賞? なんだい、それ」と言ったのは有名な話だ。 ジャズ界のスターで、演奏旅行中の名古屋にいた作曲者の中村八大もまた、「おめでとうと言われても何のことだか分からなかった」という。 「第1回日本レコード大賞」が始まった時、そこにはまだメリットも権威もなかった。その日の夕刊に次のような新聞記事が載ったことで、歌謡曲の顕彰制度ができたことが初めてニュースになったのである。 初の日本レコード大賞決まる 「黒い花びら」に授賞 童謡賞は「やさしいおしょうさん」 歌唱賞はフランク永井 1年間にレコードを通じて発表された歌謡曲・歌曲・童謡の中から、最優秀の作品を選考する初の日本レコード大賞は、日本作曲家協会所属の作曲家76人がめいめい自信のある曲を一曲ずつ提出した中から、 審査委員会(増沢健美委員長ほか16人)が2日間にわたって審査の結果、大賞は「黒い花びら」(東芝)と決まり、作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌唱・水原弘の三人に東郷青児デザインの金色のタテが贈られ (中略) 年末に行われる授賞式(会場は未定)の実況はラジオ東京テレビから中継される。 日本レコード大賞を始めたのは、日本作曲家協会。服部良一と古賀政男を筆頭とする作曲家たちだ。アメリカのグラミー賞にならって制定した動機は、世界に通じる「新しい日本の歌の育成」にあった。 それは歌作りのレベルアップを目標とする純粋なものだった。作曲家たちは自ら一念発起して、日本作曲家協会を発足させた。そして大衆音楽のレベルを上げようと、作詞家や歌手の奮起を促して立ち上がったのである。 しかし、目先の利益や売上にしか目が向いていないレコード会社の経営者や首脳陣は、その趣旨を理解しようとしなかった。なかには「我々の作品に順位をつけるのか」と怒り出すレコード会社幹部もいた。 共催を申し込んだ日本レコード協会からも断られてしまった。協賛を求めたテレビの民放各社も、「メリットがない」と冷やかな対応だった。 そのなかで唯一、賛意を示したのはラジオ局を併せ持つラジオ東京テレビ(現TBS)である。 >>…