1: muffin ★ bzXhvACO9 2025-11-30 22:13:11 11/30(日) 22:00 大型商業作品を次々と送り出してきた、細田守の最新作「果てしなきスカーレット」。これまでとは異なって、現代の等身大のキャラクターが主人公ではない。中世の王女が父王の復讐(ふくしゅう)のためだけに立ち続け、彷徨(ほうこう)し、亡者の群れと対峙(たいじ)し、泥の中でもがき苦しむ。この作品は観客に何を問いかけているのか。 本作は、典型的な「ライオンキング」型の復讐譚(たん)――なのだが、この物語には現代日本の看護師青年が突如、登場し、彼女の旅に寄り添う。 それだけだと異境譚であり、異世界バディーものでもあるのだが、視点は王女側であり、“なぜこのふたりが同道せねばならないのか”“なぜ看護師なのか?”、観客は思考を錯綜(さくそう)させたまま見続けるしかない。 (中略) ◇現代の若者と等身大だった 「時をかける少女」(2006年)から始まった、細田のオリジナル作品群(「時をかける少女」は、原作小説の約20年後を独創的に描いた)であるが、そのほとんどが現代の人間の物語だった。 「時をかける少女」では互いの片思いが互いを守り続けていたことを語り、「サマーウォーズ」(09年)では個人の能力と家族の絆が結合し、世界を救う群像が描かれた。 自身の制作拠点「スタジオ地図」設立後の第1作「おおかみこどもの雨と雪」(12年)では一転して、異能によって人目をはばかる母子家庭の移ろいと別れの物語となり、「バケモノの子」(15年)では父と子、師と弟子、男と男、それぞれの心象を説き、「未来のミライ」(18年)では、子どもの世界という小宇宙が巨大なイマジネーションに直結していることがうたわれた。 そして「竜とそばかすの姫」(21年)では、ちっぽけな個人がデジタルによって世界とつながり、仮想世界が現実世界を救うことの可能性を開いた(「サマーウォーズ」の世界観の延長的展開である)。いずれの物語も、その中心にいるのは現代の若者と等身大のキャラクターたちだった。 (中略) ところが「果てしなきスカーレット」は、それら“細田作品感”をすべて遺棄し、悲劇「ハムレット」を逆説的に解釈した世界観を構築した。 われわれの知っている、細田作品のどこまでも抜けたような青空や、懐かしく切ない夏の空気感はどこにもなく、薄暗い漆黒の北欧の曇天と、血の混ざった土砂と荒野の描写が延々と続くのである。 キャラクター造形もまったく変質し、等身大の肉感や息遣い、片思いや狭い人間関係に煩悶(はんもん)する、愛らしいトラウマなどはどこにも見ることはできない。細田は等身大の若者を描きたかったのではなかったのか。 いったい細田に何があったのか。 続き・全文はソースをご覧ください…