1 名前:@仮面ウニダー ★:2025/02/26(水) 13:21:06.56 ID:zmgf2XT/.net ・「反発がぼくの帰化を後押しさせた」 日本と韓国とロシアのミックスルーツであるぼくは、同時に元在日コリアン3世か4世でもある。帰化を決めたのは、 この先の人生において韓国籍を所持しているメリットがひとつもないからというのが動機としてはいちばん大きかった。 日本で生まれ日本で育ったぼくの母国語は日本語で、朝鮮語は話せない。そして現在、日本で法律婚をし、東京でパートナーと 猫たちと4人暮らしをしている。友人たちの大半も、日本を生活の拠点としている。今後も日本で生活していくだろうし、 仮に海外に移住する未来があったとしても韓国が選択肢に入る可能性は限りなくゼロに近い。 ぼくは自らを“韓国人”だと思ったことは、一度もない。ただ、“日本人”だと感じたこともまた、ない。 ちなみにロシアには上陸したことすらないので、“ロシア人”がもっともぼくのアイデンティティから遠い。 そしてまた、“(元)在日コリアン”という呼称もしっくりこない。ぼくは、出自で自動的に所属させられ続けてきた在日コリアン社会が 内包する差別の矛盾に居心地の悪さと強烈な嫌悪を抱いて育ち、その反発がぼくの帰化を後押しさせた。そしてそのことが、 悲しく、辛く、悔しい。 ぼくの親族たちは、人種差別には敏感だ。在日コリアンへのヘイトのみならず、黒人差別にも毅然とNOを示す。 アイヌや沖縄にルーツを持つかたへの偏見にも、我が事のように怒りをあらわにする。 しかしながら年配の世代の一部のひとびとは、ほかの差別に対してまるで無頓着だ。その最たるものが、性差別である。 ぼくの父の実家では、「幼にしては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫死しては (老いては) 子に従う」なんていう教えが いまだに美徳とされている。 例えばこうだ。 ・家族が落とした「女の子なんだから」の呪縛 北の地にある父の実家へは、東京から新幹線と車を乗り継いで数時間はかかる。そこはいわゆる本家であり、 正月と盆は一族が会するのが例年の習わしだった。 本家に到着した途端に女性たち“嫁”は、長距離移動の疲れをいやす間もなく、すぐさまエプロンを着けて炊事に励む。 それを尻目に父や祖父、伯父や婿たち男性は、居間でひっくり返って酒盛りをする。 テレビのチャンネル権は彼らが有していて、ぼくたちには与えられない。というより、のんびりくつろいでテレビを観ることなど、 もとより女性には許されていない。 子どもの間でもそうだ。男児たちがチャンバラごっこに興じるなか、女児であるぼくには“嫁”のお手伝いが強要された。 法事の準備をするのももちろん女性たちで、その後の宴会も男性たちのお酌と配膳に徹する。 母たちとぼくがようやっと座ることが許されるのは、男性たちが飲み食いしたあとだ。 ぼくの代では女児がぼくしか生まれなかったため、「女の子なんだから」の集中砲火を一手に引き受ける羽目になっていた。 なかでも辛かったのは、長年性差別を受けてきただろう祖母や親戚などの年長者から投げつけられる、あからさまなミソジニーだった。 ぼくの初潮が来たことを知った祖母は、風呂の順番を最後にするよう言いつけた。月経中でなくとも、“湯が穢れる”からだそうだ。 大学受験が近づいた年には、「女の子は大学なんか行かなくていいの!」と叱責された。 食事もいつだってゆっくりと楽しむことなどできない。「女の子はそんなにのんびり食べるもんじゃないの」というのが、 祖母の主張だった。10分程度で残り物をかき込むのが、ぼくと女性たちの盆や正月だった。 祖母の理不尽な叱責に萎縮するぼくを見ても、男性陣は庇ってくれない。 それどころか父は、ぼくが口答えしようものなら「目上のひとに対してその態度はなんや」と激昂する。 なぜ自分だけが、という憤懣は今でも時折フラッシュバックする。 ・加害者であり、被害者でもあった男性たち ー後略ー 全文はソースから 現代ビジネス 2/26(水) 7:01配信 引用元:…