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1 名前:名無しさん@涙目です。:2025/02/22(土) 04:58:45.12 ID:ADAFeN1L0●.net BE:582792952-PLT(13000) 昨年11月9日、竹島がある島根県隠岐の島町で14年ぶりに開かれた竹島領有権確立運動・隠岐の島町集会。「盛大な開催をお喜び申し上げる」「誠におめでとうございます」。壇上に立った県選出国会議員らのあいさつに対し、参加した自営業男性(59)は憤りをあらわにした。 「何がめでたいのか。自分たちがやるべきことをやっていないと、強く自覚すべきじゃないか」 島根県が2月22日を「竹島の日」と定めて間もなく20年。しかし、竹島はわが国固有の領土でありながら韓国による不法占拠は70年を超える。 「北方領土の日」(2月7日)は政府制定で、式典には首相も参加するが、「竹島の日」は県条例で制定された。松江市で毎年開かれる式典の主催は県などで、政府が派遣するのは政務官だ。 「竹島の日」制定の目的は、国が主体的に問題解決に努める取り組みを促すことにあった。だが、月日を経ても事態は一向に進展しない。その実情に、地元のいらだちはつのる。 「本来は政府が主体的にやるべきこと。やっていないから、われわれがやっている」。島根県知事の丸山達也は「県は自転車のペダルを一生懸命こいでいるが、政府側の車輪は回っていない」と語気を強める。 暫定水域で操業できぬ漁船 隠岐島の北西約158キロの日本海に浮かぶ竹島は断崖絶壁の孤島だが、明治30年代から島民らによるアシカ猟が行われ、領土編入は隠岐の水産家、中井養三郎による嘆願がきっかけだった。中井は領土・領海の意義を力説していたといい、先人は国家観に立って動いていた。政府は38(1905)年、竹島の島根県編入を閣議決定し、領有権を明確にした。 戦後になり、竹島は昭和27(1952)年4月発効のサンフランシスコ平和条約で改めて日本領と確定されたが、当時の韓国大統領、李承晩(イスンマン)は同年1月、国際法に反して一方的に「李承晩ライン」を設定。条約発効の直前に不法占拠した。以降、40(1965)年の日韓基本条約締結まで、300隻以上の日本漁船が拿捕(だほ)、4千人近くが抑留された。 平成10(1998)年に締結された日韓漁業協定で、竹島周辺は両国の漁船が操業できる暫定水域に含まれたが、竹島問題は棚上げにされたため、日本の漁船は竹島近海はもとより、暫定水域でも操業できない状態が続いた。隠岐で平成8年に竹島領土権確立隠岐期成同盟会が発足し、14年に県議会有志による超党派の議員連盟が発足、条例制定に至った背景にはこうした「実害」があり、今も続いている。 「父が生きていれば悲しむ」 条例制定の平成17(2005)年は、日韓国交正常化40周年だった。当時の韓国大統領、盧武鉉(ノムヒョン)は「第2の侵略だ」と激しく反発し「友情年」ムードは一変、日本各地の自治体で韓国の自治体との交流が途絶え、島根県は批判の矢面に立たされた。論説主幹が「いっそのこと島を譲ってしまったら」と書いた新聞もあった。 引用元:…