492:1/52006/02/13(月) 05:50:13ID:Ksv7Zq5b俺には母親がいない。俺を産んですぐ事故でタヒんでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)があの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。そしてタヒんだ母親すら憎んだ。なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。…