1 名前:おっさん友の会 ★:2025/01/23(木) 11:54:00.50 ID:rFtTCNCR9.net ある父親が、「妻が『息子は“チー牛”かもしれない』と悩むようになった」とはてなブックマークに投稿しました。 勿論、作り話で盛り上がってもいいはてなブックマークのことなので、その家族が実在するかどうかの根本的な問いは消えないのですが、まあそんな一家が居た訳です。 一方、親から子への虐待の中でも受験戦争が特に絡んでいる「教育虐待」というものがあります。 親のエゴと言ってしまえばそれまでですが、そのエゴに「飽くまで自分が理想とする人物像に子を仕立て上げたい」というのも含まれており、これも無関係ではないでしょう。 生まれるべきでなかった侮蔑語で、母親がわが子を形容する状態。ここに「教育虐待の芽」を見ました。 自分の理想と乖離するわが子を許容できないのは、既に毒親の領域へ足を踏み入れています。 実の子を陰で悪罵する母親のイメージから、教育虐待の何たるかを考えていきましょう。 元の投稿は息子の外出中、両親が二人きりの時のことでした。母親が父親にこう相談します。 「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませられないか?」 陰で息子を悪罵する姿に、父親は驚きを隠せませんでした。 父親も「チー牛」についてなんとなく覇気が無さそう程度にしか捉えておらず、就労移行支援由来だという基本的な成り立ちすら知りません。 しかし、下品な侮蔑語であることだけは把握しており、「チー牛」呼ばわりは不適切だと前置きしたうえで母親の意見を聞きました。 父親「まず、どこでその言葉を知った?」 母親「友達のLINEグループで“チー牛”を知り、個人的に調べた上で腑に落ちたのでそう言ったまで」 父親「では“チー牛”について説明してくれ」 母親「“チー牛”とは、リーダーシップも創造性も頼りがいもなく、特に異性関係で大きく遅れており、それによって勝手に逆恨みさえする男のことだ」 父親「なぜ息子が“チー牛”だと思ったのか」 母親「息子の学校内での立ち位置を広く見た上でそう判断した」 父親「出自や社会的階層による差別が許されない中で、なぜ息子を“チー牛”と呼ぶのか」 母親「そう感じたからしょうがない。母親である以前に女性の視点があり、息子がこのままではいけないというのが予想できる。 “チー牛”という分かりやすい言葉があるなら、それを使うのは当然」 父親「俺達は息子の人間関係を全て把握してるわけじゃないし、そもそも“チー牛”の何が悪いか分からない。 息子は何の非行もしていない。逆に、非行をしていれば“チー牛”じゃなくなるのか?」 母親「そこまでは言ってない。ただ普通の人間として、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか 総体的なことを重んじてもらいたいだけ」 父親「親として、自分のやってきたことを息子に強制することは出来ない。 まず、そういう人生観を伝えるうえで“チー牛”などと発するのが間違っているのではないか」 母親「だから、今までそれを言語化出来なかったのが変わったから“チー牛”と言うのは当然だと言ってるでしょ。話さなきゃよかった」 父親「まさか息子を直接“チー牛”と呼んでないだろうな?」 母親「言ってない」 【中略】 最初の母親の発言を思い出してください。「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませられないか?」既に自分の理想とする人物像へ息子をはめ込みたい意志が表出されています。 息子にスポーツを習わせ、振るわなければ心身に苦痛を与えるのでしょうか。この母親の末路になるかもしれない、教育虐待の“先達”となる事例が既に現実で起こっています。 【中略】 ひとつは、虐待がエスカレートした末の「子殺し」です。2016年の夏、名古屋で教育虐待を端緒とする子殺しが起こりました。 犯人の佐竹憲吾は、自分の母校でもある私立中学に息子を入れようと中学受験に精を出していましたが、本を破ったり髪を引き抜いたりと虐待はエスカレート。 仕舞には刃物で脅すどころか実際に足を切りつけるほどでした。 【中略】 もうひとつは、子に恨みを買われた末の「親殺し」です。2023年の春、佐賀県鳥栖市で19歳の男が両親を殺害する事件がありました。 男は幼い頃から、学歴コンプレックスを抱える父親より教育虐待を受けており、「失敗作」「人間として下の下」と罵られるなどしていました。 男は父親の願い通り、国立の九州大学へ進学しますが、憎悪の火が消えることはありません。進学から1年後、“里帰り”してまで男は、止めに入った母親もろとも父親を殺害したのでした。 障害者com 2025/01/22 引用元:…