1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/03/31(木) 09:19:40.56 ID:9C+2DoO7r.net 鳥取城は尾根伝いに雁金山城、丸山城と二つの支城を持っていたが、敵側に疲労が見られた頃、鳥取城と丸山城を連絡する雁金山城を宮部継潤が強行に攻めてこれを落城させたため、鳥取城には雁金山城の敗残兵や周囲の村人が集う形になり、 飽和した逃散民や兵士達の食料が遂に絶望的となった。 日本史上に於いて人肉を食したという記録は殆ど見られないが、その例外中の例外がこの第二次鳥取城攻めである。 日夜問わず撃ちかけられる鉄砲と、間断なく行われる威力偵察で城内はほとほと疲れ果て、飢えと精神的疲労で、もはや兵、住民たちは正気を保つ事さえ困難であった。 飢餓に苦しみ助けを請う人々は鉄砲で撃ち倒され、その死体の人肉が陣中で奪い合いになるという地獄絵図が繰り広げられ、「栄養価が最も高い脳味噌が真っ先に屍体から剥ぎ取られた」という記録まで残っている。 それでも経家は耐えに耐え抜き、四か月も籠城し続けたが、天正九年十月に遂に降伏。城主である経家ら有力者の切腹と引き替えの士卒兵卒の助命が聞き入れられ、開城する。 しかし開城後、「空腹の余り勢いに任せて配給の米を喰らった兵士が次々と胃痙攣で死亡し、せっかく生き残ったうちの約半数の兵が死亡した」という悲惨な記録も残っている。 転載元:殿堂入りしてるボケて貼ってく…