1 名前:@仮面ウニダー ★:2024/06/30(日) 12:42:46.05 ID:Bw50XKEx.net ー前略ー ・「円安が怖い」 円安のために留学が困難になっているという報道が相次いでいる。「円安もう怖い」とか、「留学もう怖い」という声があがっている。 日本から海外への留学生は、諸外国と比べてもともと少ないのだが、それがさらに少なくなってしまう危険がある。 そして、留学できるのは、ごく一部の裕福な家庭に生まれた人だけの特権になってしまう危険がある。 海外で学びたいと希望する日本の若者は、世界中から見放されたような気がする。 いや、気がするのでなく、実際にそうなってしまったのだ。 円安はさまざまな面で日本社会に深刻な影響を与えているが、留学に対する影響は、最も深刻な問題の一つだ。 ・1960年代、貧乏留学生の思い出 私がアメリリカに留学したのは、1968年。固定為替の時代で、1ドルが360円だった。 「いまは円安といっても1ドル160円台だから、60年代よりはまだまだ円高だ」という人がいるかもしれない。 しかし、円の購買力で考えれば、その当時とあまり変わらないのだ。 では、60年代における日本からアメリカへの留学生は、どんな生活だったか? その当時勤務していた大蔵省での私の初任給は、 月18000円程度だった。その後増えて、留学した時点では、月23000円程度になっていた。 ところが、留学先であるカリフォルニア大学ロサンジェルス校の周辺で、最も安いアパートの賃料が、月額100ドルだった。 円に換算すれば36000円で、月給の1.56倍。 Studioという一部屋のアパートだったが、かなり広かったし、シャワーがあった。台所は隣部屋と共同利用だが、熱湯が出た。 シャワーさえあれば台所で湯が出なくてもいいと思ったのだが(そのころの日本では、湯が出ない家庭が普通だった)、 そのようなアパートはなかった。そして冷暖房完備(日本では、一般の住宅に冷房は普及していなかった)。 これ以下のグレードのアパートは存在しないのだ。カリフォルニア大学の周辺はウエストウッドという高級住宅地で、 アメリカでも最も家賃が高い地域の一つなのだが、それにしても高い。 学費は奨学金でカバーできたが、食費などの生活費がかかる。私は日本では、初めて買った車を通勤に使っていたが、 アメリカではとても買えない。ロサンジェルスに住んで車を持っていないとは、通学とダウンタウンに時々出かける以外には、 バスを乗り継いで大変な苦労をしないとどこにも行けないことを意味する。 ダウンタウンの商店には、眼もくらむような豪華な商品が並んでいた。 ・いま、1960年代とあまり変わらない状態 いま、アメリカのアパートの家賃はどのくらいだろうか? ウエストウッド地区のStudio で検索してみると、2000ドル程度だ。 当時の20倍になっている。1ドル=155円で換算すると、31万円だ。 一方、日本の公務員の給与は、当時の10倍程度だ。だから、円でいうと、ウエストウッドの家賃は、給与の約1.35倍だ。 上で述べた私の体験よりは若干改善されてはいるものの、大差はない。つまり、いまアメリカに留学すると、 60年代に私が経験したようなみじめな生活を強いられることになる。 これを「購買力」という概念で述べれば、つぎのとおり。アメリカの物価・家賃が、当時と比べて20倍、日本の賃金が10倍になった。 だから、購買力を当時と同じに保つには、1ドル=180円になればよい。実際には160円程度だから、現在の円の購買力は、 1960年代末に比べて、1割程度は高い。 ただ、「1割程度しか高くなっていない」というほうが正確だ。 また、ここでは家賃と公務員の給与という2つの価格だけを比較したのだが、もっと広汎な価格データを用いれば、結果は違うだろう。 ・日本の留学生数は2004年をピークに、その後は減少 ー中略ー ・韓国の留学生数は日本の3.7倍 ー後略ー 野口 悠紀雄(一橋大学名誉教授) 全文はソースから 現代ビジネス 6/30(日) 6:04配信 引用元:…