1 名無しさん@涙目です。(ジパング) [ニダ] 2023/12/22(金) 08:14:47.51 ID:GKKGJoRr0 BE:902666507-2BP(1500) sssp://img.5ch.net/ico/u_oppai_u.gif 大阪駅から南に歩いて十数分、堂島川の北岸、阪神高速の直下の堂島米市場跡地(大阪市北区)には、白い米粒形のモニュメントが鎮座している。 歌川広重の浮世絵が添えられた説明板には、日英併記で「享保15(1730)年、江戸幕府は堂島で行われる正米(しょうまい)商い(米切手を売買する現物市場)と帳合米(ちょうあいまい)商い(米の代表取引銘柄を帳面上で売買する先物市場)を公認し、堂島米市場と呼ばれる公的市場が成立する」と書かれている。さらに、「世界における組織的な先物取引の先駆けとして広く知られている」と続く。 生き馬の目を抜く相場の世界。同業者より早く情報を入手できるかが成否を左右する。堂島の相場は当初、「米飛脚」と呼ばれる専門の韋駄天(いだてん)が各地の商人に知らせていたが、なにせ人の足。京都や奈良に情報が届くまでは何時間もかかった。もっと早い手はないかと思案して行き着いたのが、1600年代の初頭に日本へともたらされた「遠眼鏡(望遠鏡)」を使う「目視」だ。 1932(昭和7)年に発行の『明治大正大阪市史紀要第47号』に収録されている「大阪の旗振り通信」(近藤文二)によると、1745年ごろ、大和の国平群(へぐり)郡若井村(現奈良県生駒郡平群町)の源助なる人物が、最初は煙、次に大傘、提灯(ちょうちん)、手ぬぐいの振り方などで堂島から2キロメートルほど離れた本庄の森(現大阪市北区本庄)から情報を発信させ、大阪の街を一望できる十三峠から遠眼鏡で確認していた。後にこれを大旗による信号に発展させたのが、旗振り通信の初期の記録として残っているという。 各種の記録や、再現実験をした人たちから聞き取りした内容から、通信速度を割り出している。それによると、堂島から和歌山へは3分、京都まで4分、神戸まで7分、桑名(三重県北部)まで10分、岡山まで15分、広島まで40分足らずだったという。1分で平均12キロメートル先に伝わると考えれば平均時速720キロメートル、ジェット旅客機に迫るスピードである。 続きはソースで…