1 名前:仮面ウニダー ★:2023/12/10(日) 13:05:47.32 ID:aaFOz4qX.net ー前略ー これは、国際的な外交を今でも華夷秩序に基づいて行っているからだ――と考えてもいいと思われます。 以下に古田先生のご指摘を引用してみます。 (前略) 何を言いたいのかといえば、古代の東洋で通例であった礼というのは、今で言えば外交の作法のようなものであり、 その背後には対立、襲撃、臣下の告げ口、王のお叱り(実は牽制)等があったということである。 要するに東洋の国際関係とは、王国内の王と臣下たちの日々の関係を、東洋全体の国同士の関係にまで拡張したものなのである。 そこに忠貞の濃淡を設けて格付けした。 これをテクニカルタームで「華夷かい秩序」と呼んでいる。 (後略) ⇒参照・引用元:『統一朝鮮は日本の災い』著:古田博司,飛鳥新社,2008年09月25日 第1刷発行,p44 ※強調文字は引用者による。原著では強調文字部分はルビになっています。 中国の外交を「王国内の王と臣下たちの日々の関係を、東洋全体の国同士の関係にまで拡張したもの」と捉えると、 ド偉そうな態度が理解できるのではないでしょうか。つまり、他の国を「臣下」だと考えているのです。 次に韓国。朝鮮半島は中国の属国であり続けました。中国から切り離され、中国の影響を遮断して暮らすことができたのは、 日本が併合したおかげです。このとき、歴史上初めて朝鮮は中国を下に見ることができました。 朝鮮半島の人が日本国民になり、その日本は日清戦争に勝利した国だったからです。 日本併合前の李氏朝鮮はどのような外交を行っていたかというと、うちは明から最も高く評価されている国(それも自称) だということが唯一の自慢で、それを基に他の国を見下していました。 簡単にいえば、虎の威を借る狐ですが、その駄目さ加減は外国から見れば実に滑稽こっけいです。 同じく古田先生のご指摘を以下に引いてみます。 (前略) 李朝は、勿論シナの[礼]に潜んだ策略を冷静に悟っていた。 「蛮夷ばんいに蛮夷を攻めさせるのは、中国の勢いであり、すなわち今日の中国の謀はかりごとだ」 (世祖実録、世祖2年(1456年)2月28日条、世祖の朝議での発言)。 だが、満州族との衝突の種は、いつも朝鮮側だった。 1491年には、渡河して殺害事件を起こし、復讐戦を仕掛けられると、満州族に書を送って脅した。 「堂々の大国が、どうして座して侮辱を受けるだろうか」(成宗実録、成宗22年(1491年)7月15日条、成宗の書簡)と、 まるで大国気分だったが、逆効果で、猛烈な満州族の侵攻を招いた。 [大国気分]というのが、コリアの周辺国に対するスタンスであり、他方、周辺国のコリアに対するスタンスは[嘲笑]である。 (後略) ⇒参照・引用元:『統一朝鮮は日本の災い』著:古田博司,飛鳥新社,2008年09月25日 第1刷発行,p45 ※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。 15世紀の話――「大国気分」で満州族を蛮夷と侮り、精神勝利していた李氏朝鮮が、満州族に対していかにド偉そうな外交を行っていたか、 そして侵攻されたか――なのですが、現在とどこが違うの?と思われないでしょうか。 違いません。 「衝突の種がいつの朝鮮側にある」という点も同じなら――「自身の大国気分」による朝鮮の威丈高な態度と、 それに対する「周辺国の嘲笑」という構図も――全く同じです。 古田先生のご指摘はいつもながら実に的確です。 つまり、中国と韓国は現在でも古代~中世の外交を行っているのです。 両国とも国際法をちっとも守りませんが、これも「臣下が作った法を守る必要などあろうか」という姿勢の現れと見るべきなのかもしれません。 合衆国、欧州、日本などの自由主事陣営国だけでなく、世界中の国が言うでしょう――「お前の臣下になんぞ、なった覚えはない」と。 日本の斜め上方向には「いまだに古代~中世をやっている“時間軸のずれた国”」があるというわけです。 まともなお付き合いなどできるでしょうか。だからこそ日本は中韓と距離を置くべきなのです。 (吉田ハンチング@dcp) 2023.12.9 引用元:…