1: ネ(・ω・)コ ◆Tanuki/zH8UY 2023/11/04(土) 20:44:25.950 ID:ZHXrs4sS0 ・日本に入ってきた時期は野球もサッカーも同じ なんなら他にもスポーツが入ってきてる。 ・富国強兵の気運の中で対外試合はインパクトがあった。国際試合(外人寄せ集め対日本人)で、野球は勝ったがサッカーは負けたのが分岐点になった。 ・当時の日本における学生スポーツへの認識は”スポーツに熱を入れて勉強をしない馬鹿”という認識。 ・認められたい一心で腕の骨格が曲がるまで練習した馬鹿が野球にいた。これが非科学的なハードトレーニングや体罰普及の第一歩になった。 ・一般的な認知度で野球に負けてしまったサッカーだが、全国の師範学校への普及が進み、育った教師が日本中へ散らばり普及した。清水や浦和で普及したのもこれが影響している。 ・日本ではずっと日陰を歩いてきたサッカーだが、国際的普及度が圧倒的なため度々グローバルスタンダードな教育が入ってきている。ドイツの一流指導者デッドマールクラマーが日本リーグの創設を提案した。 ・日本リーグが創設されたあともやがて競技レベルは低下し、ロングボール放り込み走り込みサッカーになった。 ・日本のスポーツはすべて企業の福利厚生となっていた。存続の命運は企業経営者の一存に委ねられた。これはスポーツクラブが民間で行う公共的な機関となっていた世界のスポーツ事情と大きく異なっていた。 ・Jリーグが創設される。創設後まもなく長期に渡る不況が始まるが、地域スポーツクラブ、総合スポーツクラブを目指して創設されたため、廃部となるバレーや陸上競技の受け皿として機能していった。 ・ルヴァンカップが「同一スポンサーによる世界最長のプロサッカー大会」としてギネス認定された。…