1 名前:愛の戦士 ★:2023/09/29(金) 13:27:23.99 ID:FGrGFGj/9.net cocoKARA 9/29(金) 10:30 フェイエノールトの黄金期を支えた小野。最盛期の彼の名は世界に轟いた。(C)Getty Images 間違いなく不世出のファンタジスタだった。 9月27日、コンサドーレ札幌に所属する元日本代表MF小野伸二が、自身のインスタグラムで今季限りでの現役引退を発表した。奇しくもこの日は44歳の誕生日。文面に記された「相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので」というメッセージも含め、好漢たる彼らしい発表となった。 観る者を魅了する卓越した技巧と十八番の“ベルベットパス”に代表される非凡なサッカーセンスは、日本、いや世界で愛された。 1999年のワールドユースで準優勝に輝くと、2000年のシドニー五輪や2002年ワールドカップでも躍進の原動力となった小野。高原直泰や稲本潤一、遠藤保仁、中田浩二、小笠原満男ら、幾人もの名手を擁した「黄金世代」にあっても、彼の存在感は出色。まさに傑物と呼ぶにふさわしい選手だった。 そんな小野の最盛期がいかに凄まじかったか。それを物語る忘れられない証言がある。21年5月にオランダ公共放送『Rijnmond』の取材に応じた元フェイエノールトのテクニカル・ディレクターを務めたロブ・バーン氏のそれだ。 2001年の夏にオランダの古豪フェイエノールトへ移籍した小野は、後に同国の代表監督となるベルト・ファン・マルバイクの寵愛を受けた1年目から絶対的主力に君臨。UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)制覇に貢献するなど、クラブの黄金期を支えた。 そんな小野の獲得に尽力した一人がバーン氏だった。当時に「残念ながら怪我のせいでビッグクラブへのステップアップは実現しなかった」と惜しんでいた名スカウトは、東洋の島国から引き抜いた偉才について、こう断言した。 「オノは本当に素晴らしかった。私はいまだに彼なら、あの時のマドリーでもプレーできたと100%確信している。ファン・マルバイクに聞いても、同じことを言うと思うよ。彼は本当に優れた洞察力を持ち、技術的にも素晴らしい選手だった」 バーン氏が「あの時の」と強調するのも無理はない。2000年代前半のマドリーは、フロレンティーノ・ペレス会長による指令の下、スター選手たちを相次いで獲得。ジネディーヌ・ジダンやルイス・フィーゴ、ロナウド、ラウール・ゴンサレス、ロベルト・カルロスらが居並び、「銀河系軍団」と称された。 当時のサッカー界は、マンチェスター・シティやパリ・サンジェルマンのような大型補強を展開するクラブが少なかった。そんな時代にあって異様なチーム構成が組まれたマドリーで、小野は「プレーできた」というのだ。それだけ彼の繰り出すファンタジーがバーン氏の目には輝いて見えた証左と言えよう。 ともすれば、「古臭い話」と言われてしまうかもしれない。それでも強調したいのだ。小野はそれだけ語り継ぐ価値のある選手だった。 [文/構成:ココカラネクスト編集部] ◆関連 【サッカー】小野伸二を初めて見たとき「なんじゃこりゃ」マラドーナの領域を感じさせた唯一の日本人 [ゴアマガラ★] 引用元:…