1 名前:煮卵 ★:2025/08/10(日) 09:51:58.68 ID:A3c0IJSD9.net 2025年7月の参議院選挙で一躍、台風の目となった参政党。「極右政党が躍進」と国際的にも大きく報道された。 そんな参政党がこれまでの新興政党と最も異なる点は、潤沢な資金構造と、全国津々浦々に張り巡らされた地方支部の存在だ。そのように強固な党組織を、なぜ短期間で確立することができたのだろうか? 鍵を握ったのは、日本共産党の元専従職員であり、参政党創立に関わったジャーナリスト、篠原常一郎氏。 「実は参政党のモデルにしたのは、共産党と公明党です」――。 インタビューに応じた篠原氏は、参政党躍進の秘密を明かした。 (共同通信=武田惇志) ◼日本の自主独立路線で一致し、結党 篠原氏は1979年、18歳で共産党に入党。25歳で専従職員となった。以後、2004年11月に党を除籍されるまで、選挙や政治の世界に関わってきた。 旧民主党でも国会議員の政策秘書を務めた後、ジャーナリストとして主に政治・軍事分野についてユーチューブで発信してきた。 そんな篠原氏は2020年、参政党創設時の事実上の役員会であるボードメンバーに名を連ねていた。 篠原氏は経緯をこう説明する。 「(参政党の)神谷宗幣代表と共通の知人がいまして、『政党を作りたい』と言っていました。でも彼らは、政党をどう構成するかが分からなかった。 『篠原さんは共産党、民主党にいたし、職員として支えてきた知見を生かしてアドバイスをしてほしい』と頼まれたのがきっかけです」 当初のボードメンバーにはユーチューバーのKAZUYA氏らもいた。 篠原氏によると、彼らと合宿などで議論を重ねる中で、党の理念・綱領を作り上げたという。彼らが一致点を見いだしたのは、日本の自立というテーマだった。 「一番の共通点は日本の自立、自主独立でした。それは、僕自身が共産党にいる時代からのテーマだったんです」 ◼憲法草案の裏側 篠原氏の念頭にあったのは、戦後すぐに共産党が前面に打ち出していた憲法9条への反対論だ。 日本国憲法制定前の1946年6月、共産党の野坂参三(後に議長、名誉議長など歴任後、除名)は「侵略戦争は認められないが、自衛戦争は認められるべきだ」と主張。「自衛権も認められない」とする当時の吉田茂首相と論争になった。 憲法の採決日には、野坂参三は党を代表して以下のような反対意見を述べている。 「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない」 このような歴史を念頭に、篠原氏らボードメンバーによる議論の末、参政党の綱領には「天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」「日本国の自立と繁栄を追求」などが書き込まれた。 ただ、篠原氏はこうした理念を具体化する作業にはほとんど関わらなかったという。 「それは党員の中で志願した人たちがやったんです。そこで憲法のグループも作って、2年間勉強して憲法草案を作ったわけだけど、お粗末そのものでしたね。『幼稚園のお絵かきレベル』と言ったら、みんな怒っていたけど。 だって、あの草案には現行憲法から改憲する手続きのための条文が一切ないんですよ。今の憲法は明治憲法から、手続きに基づいて改憲されたわけですけど。改憲手続きがないってことは、革命でもやって憲法変えるのかって話なんだよね」 ◼サブスク政党 他方、篠原氏が主導したのは、党の収入の仕組みだった。党費を軸にして、政党交付金に頼らない資金構造を作り上げたのだ。 「組織というのは、すなわち金です。それは、僕が共産党の末端の職員として、党費や機関紙『赤旗』の集金を20年ほど担当してきて感じたことです。金を集めるというのは結局、心を集める活動なんです。支える気がない人は、金を払わないんですよ。『赤旗』の読者だろうと、党員だろうとね。 自民党みたいに年額の党費を年に1度払って、党員の資格を更新するんじゃなくてね。党費を毎月払うことで、党員であるというアイデンティティーを主張するとともに、党全体を自分のものとして支えるんだという思想を始めから据えたんです。 参院選で1万人ほど増えたので、現在の党員数は約8万5千人。基本的に党費は月額千円なので、月に8千万円は入る。これが強さの背景になってますね」 続きは↓ [47NEWS] 2025/8/10(日) 9:32 引用元:…