
483: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)02:15:53 ID:4D0JUgBYa 今誰かいるのかな・・・どこかに吐き出したくて仕方ないんだ。書きためたんだけど、超長文だし、書き込み初めてで書き込んでいいのかわからないし。勝手に投下していっていいかな 484: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)02:20:34 ID:3oHesz27F 聞こうか 485: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)02:21:33 ID:4D0JUgBYa わ、人がいた。本当にめちゃくちゃ長いので、うっとうしかったら読み飛ばしてください。次から投下していきます。 486: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)02:23:28 ID:3oHesz27F おk 487: 483 2014/08/20(水)02:23:51 ID:4D0JUgBYa 何分割になるかわからないけど、投下させていただきます。いつもまとめを見るだけで書き込みは初めて。何か不手際があったらすみません。とにかくどこかに吐き出したくて吐き出したくてたまらなかったので、自分語りをさせてください。兎にも角にも語りたいものを語りたいだけ書いているので恐ろしく長いです。フェイクも有。とにかく、今、人生で2番目か3番目くらいの修羅場だということ。今までの修羅場のケアを自分自身にしてこなかったから起きているということ。読む人からしたらきっと大した修羅場ではないと思う。けど私の中では今でも続く修羅場。私には、すっぽりと記憶のない期間がある。その記憶のない期間。それが私の人生の修羅場の始まりだったと思う。記憶が無い。正確にはある事以外の記憶がまるでないというのが正しい。小学校低学年~中学年。そのあたりのことだ。幼稚園時代や幼年期ではかなり覚えていることも多いというのにその頃のことはすっぽりと記憶が無いのだ。私は両親と姉弟の5人家族。私が5歳になる頃に弟が産まれて5人家族になった。当時、団地住まいだったため5人では手狭になり、年度的にも丁度良いということで、私が幼稚園に入るタイミングで一軒家へと引っ越した。幼稚園時代はうまく行っていたと思う。引っ越してすぐに友人もできたし、よく遊んでいた。姉と弟は生まれつき疾患をもっていたため、両親は二人にかかりつき気味で多少寂しい思いもした気がするが、愛されていないと感じることはなかった。隣家に住む夫婦が少々(いやかなり)頭がおかしく、かなりのトラブルもあったが私の修羅場にはあまり関係ないので割愛する。つづきます 488: 483 2014/08/20(水)02:25:30 ID:4D0JUgBYa しかし、小学校からは悪い記憶しかない。小学校にあがると、突如イジメの的にされたのだ。理由はとても単純なもので、私の苗字が珍しかったかららしい。姉や弟はそんなことは無かったらしいので、私は運が悪かったのだろう。名前という自分ではどうしようもない事を理由に、無視から始まり、暴力・暴言、所有物の破損。色々やられたものだ。だが私自身、大人しい性格ではないので自分から何か仕掛けることは無かったが、やられたらやりかえすのが日常だった。やりかえすだけでなく、担任に訴えたこともあった。ところが何の役にも立たないどころか、なぜか私が叱られた。 「ぶたれたからといって、ぶちかえしたらいけません。」 「馬鹿と言われたからといって馬鹿と言い返してはいけません。」 「やられたらやりかえすではいつまでたっても終わりません」なるほど。正論である。では、私はどうやって降りかかる災難から身を守れば良いのか。担任はそれを教えてはくれなかった。そして、担任がいじめていた者たちを注意することはなかった。今でもあるのか知らないが、私が小学生の頃は「道徳」という時間があった。ある日担任は、その道徳の時間を使って学級会を開いた。テーマは「私さんの嫌なところ。直してほしいところ」。とんでもないつるし上げ晒しあげだった。つまり担任は「いじめられる私が悪い」ということだったのだ。元々、親兄弟、友人などに何かを相談したりしたことはなかった。私はこれを機に、誰かに自分の苦しみを打ち明けることを諦めた。「すべて私が悪いのだ」。私は学校で友人を作ることをやめた。引っ越してすぐにできた友人とも仲良くするのをやめた。当時、登校班というものがあり、同じ地域の子供たちは時間を決めて集まってから登校しなくてはならなかった。私はその登校班に参加することもやめた。友人たちが登校班でもあからさまに私を嫌がり煙たがるようになったからだ。ある時、その友人たちが親に私と一緒に登校しないことを叱られたらしく、「なぜ私は登校班で一緒に登校しないのか」とひどく責められたことがあった。今の今まで、私がいないことにむしろ喜んでいたじゃないか。私の知った事ではない。友人たちのことを私は完全に無視した。正直どうでもよかった学校から帰宅して何をしていたかと言うと、決して引きこもっていたわけではない。私の住んでいたすぐ目の前に子供たちの遊び場があった。そこには下は幼稚園から上は高校生まで。年齢問わず子供が集まって遊んでいた。男の子ばかりだったが私もまわりもまるで気にせず遊びまわった。学校から帰ると遊び場に飛んでいき、サッカーやドッジボール、たかおにやいろおに。とにかく走り回って遊んでいた。元々身体を動かすのが大好きだった私は更に学校の友人などどうでもよくなっていた。もちろん学校に行くのは嫌だった。しかし、学校を休むと外に遊びに行かせてもらえないのでそれなりに通ってはいた。休みがちではあったのでよく両親に叱られた。でも、いっそこの時、不登校になっていた方が、今でもこんな修羅場を引きずる事にならなかったのではないかと考えたりもする。 489: 483 2014/08/20(水)02:26:44 ID:4D0JUgBYa 地域の遊び場でいろんな年齢の友達ができた。特に仲良しだったが1つ上のTちゃんとKちゃん(ふたりとも女の子)だ。Tちゃんとは今でも連絡を取り合う幼馴染のような関係になれた。Kちゃんは今どこで何をしているのか知らない。学校が終わればすぐに遊び場に飛んで行ったが、何度も書いている通りみんな年齢も学校もバラバラだったので、集まってくるまでに時間差があり、年下で遊び場に近いところに住む私が一番乗りということがよくあった。そういう時は一人で遊具で遊びながらみんなが来るのを待っていた。ある日、いつものように一人で遊んで人が来るのを待っていると、普段はあまり来ないKちゃんの一番上のお兄さんがやってきた。Kちゃん・Tちゃん・私の3人でよく遊んでいたのでK兄のことも知っていた。私は突然現れたK兄に何か疑問に思う事もなく挨拶をした。K兄「一人で遊んでるの?」私「うん、みんなが来るの待ってるの」K兄「じゃあみんなが来るまで一緒に遊ぼうか」私「うん。何して遊ぶの?」K兄「面白い遊びがあるんだ。こっちにおいで」K兄は遊び場にあるいくつかの建物の1つに私を連れて入った。今考えれば不用意だ。本当に不用意だ。当時の私を張り倒したい。だが、その建物も遊ぶ時によく使っていた私には何も疑問に思うことができなかったのだ。つづきます 490: 483 2014/08/20(水)02:28:38 ID:4D0JUgBYa 簡潔に言えば挿入こそされなかったものの、○されたのだ。脱がされ舐められ握らされ舐めさせられ。今でも鮮明に思い出せる。思い出すと吐き気を催す。当時は自分が何をされているのかわからなかった。ただとても気持ち悪く、やめてほしかった。いやだいやだと暴れたが、当時私は7~8歳で、K兄は20歳↑。到底太刀打ちできるわけがなく、抵抗すると何発か殴られた。そして言ったのだ。K兄「暴れたり、騒いだり、後で誰かに言ったりしたら、お姉ちゃんと弟のことボコボコにしちゃうよ」殴られたのがものすごく痛かった。同年代の男の子の力なんて比べ物にならなかった。この人に殴られるとこんなに痛い。でも気持ち悪い。でも、暴れると、姉や弟を殴るとK兄は言うのだ。姉は特に身体が弱く、その頃になってようやく体育の授業も様子を見ながら出席して良いと言われたばかりだった。毎年、運動会は見学だったけれど、今年は徒競走を走っても良いと言われたと両親も私も弟も喜んでいた。弟はまだ幼稚園に入ったばかりだった。今では見る影もないくらい馬鹿でかい(190近い)が、あの頃はまだ、私よりずっとちっちゃかった。私が嫌がれば、そんな二人にK兄は暴力を振るうという。嫌だ嫌だ気持ち悪い。私が一体何をしたというのか。でも、すぐにあの学級会を思い出した。私はこの時、殴られた痛みと恐怖と、あの学級会のことを思い出し、諦めてしまった。「こんなことをされる私が悪いのだ」と。ことが終わった後、K兄にはもう一度同じことを言われた。しかし、私にはとうに、誰かに話すという事は頭の中にはなかった。すべて私が悪いのだから。K兄はさっさとその場から消えてしまった。しばらくブランコでぼーっとしていると、いつも通りみんなが集まってきたので、いつも以上に私は走り回った。夢中で走り回らないと、何かがいけない気がしたんだ。まだまだつづきます。。。すんません 491: 483 2014/08/20(水)02:29:37 ID:4D0JUgBYa その後、K兄にはしばらくつきまとわれた。私は決して誰にも話さなかった。ただ、K一家は近所に住んでいたので見かけることもしょっちゅうあった。私は視界にK兄を見つけるとさりげなく、そそくさと、逃げるようになった。それを何回か繰り返すと、家に変な電話がかかってきた。いわゆる「ねぇねぇ今どんなぱんつ?」な電話である。最初電話に出たのは私。声でK兄だとすぐにわかったので電話を切った。またすぐに電話が鳴った。K兄の言いたいことはすぐにわかった。「逃げるな」ということなのだと。ならば外出をやめればよかったのだが、そうもいかなかった。家にこもっていれば、外で遊んできなさいと言われ追い出されるだろうし、何かを聞かれるのが怖かったからだ。家にいれば電話が鳴る。そしていつか本当に姉や弟が殴られるかもしれない。私にはどうすることもできなかった。両親に話したら、きっとたくさん怒られてしまう。私は、完全に諦めていた。結局、外で遊ぶことはやめなかった。なるべく一人にならないように、みんなが来てから遊び場に行くようにした。そんなことをしても、遊び場に向かう途中で人気のないところに力ずくで引きずり込まれてしまい、結局は無意味だったんだけど。とにかく全力で遊んで、気持ち悪い事を忘れようとするしか、私にはなくなっていた。家族が殴られるのが怖かった。お前が悪いと晒し者にされるのが怖かった。どうしようもない諦めしか私にはなかった。しかし、K兄はある時を境に、ぱたりと姿を現さなくなった。さりげなく様子を伺ってみるとK兄が乗っていたごついバイクがなくなっていた。おそらく、就職か何かを機に家を出たのだろう。何も解決しないまま、私の人生一番の修羅場は終わった。そして、すぐに次の修羅場が起きた。つづ(ry 492: 483 2014/08/20(水)02:30:28 ID:4D0JUgBYa 母と弟が突然失踪した。ある日の夕方、母が「回覧板をまわしてくるね」と言って弟と外出した。そしてそのまま帰ってこなかった。その日の夜はどうやって過ごしたのか覚えていない。姉や父がどうしていたのかもよく覚えていない。それからしばらくは私と姉で家事をして父は母と弟の行方を探していた。時折、母方の祖母が食事を作りにきてくれた。2か月ほど過ぎたころだと思う。父が母と弟を見つけたという。3県ほど跨いだ土地の温泉旅館で住み込みで働いていたらしい。見つかったきっかけは住民票が移されていたことらしい。まさか律儀に住民票を移しているのは盲点だった。父と母の間にどういうやり取りがあったかは知らないが、母の居場所が判明したその週末に父と姉と私で母と弟を迎えに行った。母が弟を連れて黙って失踪した理由は父との喧嘩が理由だった。この喧嘩については私は9割方、母が悪いと思っている(色々とお金の問題があった)。1割は父だ。父はいわゆるエリートで九州男児気質なため、昔は物の言い方や態度が色々酷かった。今は年も取り大分丸くなったが。母と弟が戻り、人生2度目の修羅場は終わりを迎えた。この二大修羅場が起きた時期。小学校低学年~中学年の記憶は本当にこの2つに関することしか覚えていない。時折、TVを見ている時などに家族でテーマパークに行った話をしたり、ここにキャンプに行ったねという話題が出るのだが、私は何も覚えていない。適当に相槌をうってごまかしていた。この時には完全に壊れていたのだと思う。今思い返しても、かなりの情緒不安定だったと思う。そもそも、この頃から夜、熟睡できた記憶がない。寝入るまでに最低でも2~3時間はかかったし、眠っても夢ばかり見て眠った気がしない。恥ずかしい話、中学の頃までおねしょをしていた。あまりにもおねしょが終わらないのでたまに遊びにきた祖母に「病気じゃないのか」と泣かれたこともあった。夜眠れないのも、おねしょがなおらないのも、私が悪いのだと思っていた。何か言えば、また、誰かに襲われるかもしれない。強迫観念が私を縛り、完璧超人になろうと装うものの、スイッチが切れると何もできなくなってしまった。私はなにもかもをめんどくさがるようになり、時には2~3日食事をとらないこともあった。つd(ry 493: 483 2014/08/20(水)02:31:24 ID:4D0JUgBYa そのまま中学・高校・専門と過ごしていくが、この間にも修羅場はいくつもあった。高校は普通高校ではなく、県立の商業高校に通っていたが、親が振り込んでくれてると思っていた学費が納められていなかった。担任から呼び出され、その事実を告げられ、このままでは退学になると言われた時は理解ができなかった。公立で学費が払えず退学???意味が分からない。学費未納の理由は、家計大雑把管理の母がすっかり学費の存在を忘れ使ってしまっていたからだ。私はもうこの件を父に言うのはやめた。また喧嘩になって出て行かれてはたまったものじゃない。担任に事情を話し、特別にもう少しだけ支払いを待ってもらった。すぐにバイトを見つけて学費を稼いだ。商業高校だったので普通の公立にくらべて学費が多少高かったが、バイトで賄える金額だった。私立じゃなくて本当によかった。結局、高校の学費はすべて自分で支払った。中学・高校・専門でも相変わらず休みがちであることには変わりなかったが、成績は上位を維持していた。でないと父に叱られるから。担任にはよく「休みさえなければ完璧なのに!」と言われていたものだ。だが面倒くさいと思ってしまったら最後。何もできなくなってしまう私には、どうしようもできなかった。自分に甘いからそういう事になるんだと思った時もあったが、そう思ったところで動かないものは動かないのだ。信じられないかもしれないが、本当に動けないのだ。頭の中で「やらなきゃ、やらなきゃ」「ほら、寝てても良いことなんて一つもない。起きろ起きろ」自分にどれだけ言い聞かせても、布団から身体を起こすことさえ結局できなかった。しかし、家族のだれも、それがおかしいとは思っていなかった。ただ単に私が強情で我が儘なだけだと思っていた。両親も姉弟も、私が家族の中で一番強かで、放っておいてもなんだかんだで大丈夫。実際、放っておかれても出席率はギリギリをキープし、留年も浪人もすることなく卒業した。そして、私はそのまま社会人になり、また修羅場を迎えている。ああ本当に長くてごめんなさいツヅキマス 494: 483 2014/08/20(水)02:32:21 ID:4D0JUgBYa 今更だが、私の現在のスペックは以下である。29歳(♀)のSEだ。卒業後、入社した会社は下請けの中小企業。理由は後述するが、その後転職し、エンドユーザ企業で社内SEを勤めるも、抑うつ診断がおり昨年から休職している。あと数か月で休職期間が終了し、強制退職となる。社会人になっても、多少減ったものの休みが人より多いことには変わりなかった。だが下請け時代も今の会社も仕事さえ納期内に完了していれば問題もなく、実際一緒に仕事をしている人たちに何か言われることは無かった。・・・これはもちろん自分への言い訳だ。一社会人としてはまるっきりダメな部類。前の会社では特になかったが、今の会社では人事にちくちく言われることが多かった。しかし、それは私が悪いので申し訳ありませんと頭を下げていた。転職をしていなければもしかしたら休職まではいかなかったのかな?最初に就職した会社は下請け中小企業でそこまで給与はよくなかったが、人間関係がとても良く、多少きつい仕事でもそれなりに働いてこれた。時折、月稼動300時間を突破などという激務なこともあったが、乗り越えてきた。入社5年目の年、1人の役員候補が入社してきた。こいつが正直キ○ガイ野郎だった。Eとする。Eのせいで会社を辞めて行った人間は20人を超える。たかだか70人規模の会社で1年半ほどで20名以上が辞めたのだ。その間、積極的に採用活動も行うものの、ベテラン技術者ばかり辞めて行く会社はかなり疲弊してきた。私もEへの不信感が募り、信頼していた先輩や上司たちが辞めて行く中、転職を考えるようになっていた。そして転職をダメ押しする事態が起きる。つd(ry 495: 483 2014/08/20(水)02:33:02 ID:4D0JUgBYa 入社当初はオールマイティな技術者であったが、5年目の頃にはかなり専門性の高い分野の技術者になっていた。当時も今も、その分野の技術者は常に不足していて、私は技術者として今後この分野で生きて行く算段をたてていた。それについては上司とも相談し、同意を得られていたし、実際その分野の技術者を求める案件は多くあった。3年目あたりから、会社としてもその分野の技術者を増やしたかったこともあり、少ないながら部下つくようになった。名目上は部下であったが、技術指導者という位置づけのが正しいかった。彼らは順調に技術を身に着け、単独で別の現場入りし、また別の部下がつく。その時は人に教えることで私自身もより知識と技術を深めることができたし、マネジメント経験を積ませてもらえてとても充実していた。会社としてもその分野の案件に対して安定して技術者を派遣できるようになり、ちょっと賞与に色をつけてもらえた。しかしEが入社してから順調に成績を伸ばしていた会社が傾き始める。Eは新規事業立ち上げのために、どこぞの大きな外資企業から引き抜かれてきたんだそうだ。業績不振も最初のうちは新規事業立ち上げのための初期投資として努力していたが、ずんずんと業績が落ちていくまま1年が過ぎた。こう言ってはなんだが、実際業績をあげることもできずにかなり不遜な態度であったEに対する不満と不振が社員たちの間で大きくなっていた。私自身もEへの不信と不満でいっぱいだった。ちょっと言い過ぎかもしれないが、私が育てた部下たちがEの下に無理矢理連れて行かれとんでもない不遇を強いられていた。新規事業はその分野を主力とした事業だったからだ。Eの下に引き込まれた彼らからは日々相談や愚痴のようなものをやりとりしていた。彼らは「このままではいずれ私さんもここに回されるかもしれない」とかなり心配してくれていた。そして案の定、社長より本社へ引き上げ命令が出る。予想はしていたものの、一応上司に「どういうことか」と問えば、「Eと社長を抑えられなかった。申し訳ない」と謝られてしまった。突然の引き上げのため、クライアントに多大な迷惑をかけてEの下につくと、まさかの営業を命じられた。E曰く「技術もわかる女性営業が欲しい」ということだったらしい。正直本気でタヒねと思った。そしてかなり絶望した。私は幼少期の事もあり、八方美人を演じることはできるが、人とのコミュニケーションは凄まじいストレスになるのだ。だからこそ、就職先を探す時も営業は除外し、技術者としての道を選んだのだ。常に新しい人との関わりを持っていかねばならない営業は私には地獄すぎた。断固抗議はしたが社長の一声は覆らず、売れもしない商品販売の営業に引きずり回されることになる。Eはその分野の理論に対する知識はあった。しかし製品の知識は皆無。適当なことを適当にペラペラしゃべり、いま我々が売ろうとしているこの製品では実現できませんということでも平気でできますと言いやがる。適当営業で売り込み、試験導入までは持っていくものの、Eが「できる」と言ったができないことも多く、クライアントに激しく叱責され、契約の不成立の責任はすべて私のせいになった。Eに契約不成立の責めを負う際、私に女らしさが無いからだとまで言われた時はもうこの会社はダメだと思っていた。実際、私に女らしさなどは無いが、営業に行く時は最低限の身だしなみは整えていたのでそれを叱責されるいわれはない。つd(ry 496: 483 2014/08/20(水)02:34:01 ID:4D0JUgBYa そして新規事業は迷走し始め、紙媒体の広告やパンフレット(あほみたいな100Pクラス)、ビックサイトで行われる展示会などに出展する。広告のデザインもパンフレットの原稿、デザイン、展示会でのブースレイアウト、掲げる看板のデザイン。すべて私に回された。私はもう限界だった。技術者に戻る。そう決めて転職活動をし、数社に内定をもらった結果、今の会社に転職することになる。退職届を持参したときに、上司には技術者としての仕事に戻してあげられなくて本当にすまなかったと頭を下げられてしまった。転職先はまさに私の専門分野の技術者をピンポイントで募集していた。給与面や、知名度を考えればもっと良い内定先はあったが、私は自分の技術を活用でき、そして伸ばしていけると信じたこの会社を選んだ。この転職は私の技術者人生を左右する大きな節目だった。中途採用の面接中に、私は念押しで確認をした。「本当に○○専任の技術者の採用なのですか?」と。答えは「Yes」だった。現在、専任が1名いるが、業務量が膨大になってきたための増員ということだった。だが現実はどうだろう。契約違反も甚だしい内容だった。たしかに専任者はおり、業務が回り切っていないようだった。しかし転職してから休職に入るまでの2年間、ついに私はその業務に掠ることすらなかったのだ。入社当初は、社全体で大きなプロジェクトが動いており、それのサポート業務に従事していた。物事にはタイミングというものがあり、これは仕方がないことと思っていた。そのプロジェクトが終了した後、契約通りの業務に回されるかと思いきや、まったく畑違いの業務への従事を命令された。その時も、視野を広げることは必要だと自分を諌め、新しい知識と技術を得られる貴重な機会だと納得させ公認資格も取得し、業務を遂行した。だが、この明らかな契約違反に対して不満がなかったかといえばNoだ。不満はおおありだった。しかしそれは最終的に私が休職に追いやられた原因ではない。休職に入った原因はよくある話ではあるが人間関係だ。私はその時従事していた業務の性質から、社内全体の部署と関わっていたのだが、この会社、全体的にすべての部署の人間関係が悪かった。その中でも最悪だったのが私の所属する部署。その人間関係は呆れてものも言えなくなるレベルだった。数百名規模の会社の中にあるこの部署は部長を含め総勢9名。たった9名の部署で3つの派閥があった。人間、折が合わないというのはよくあることだが、公私の区別もつけず、業務に影響がでるレベルで険悪なのに嫌気がさしていた。どれほど険悪かと言うと、入社3日目にして関係図がはっきりわかるほど険悪さだ。つd(ry 497: 483 2014/08/20(水)02:34:43 ID:4D0JUgBYa 派閥を紹介しよう。まずK率いるK派閥。Kの自慢は「うちの部は全員下請け企業あがりの根っからの技術者」ということ。(本人の技術は残念極まりない。(畑違いの私でもできるレベルの事が入門書がないとできないレベル))すべてが気合で片付くと思っている超絶根性&精神論者。口癖は「あいつは馬鹿だ」「やる気がない」「やる気がないからできない」「できないじゃなくてやるんだよ!」続いて一匹狼のS。Sは唯一の生粋の技術者であり、技術オタクレベル。しかしありがちな上から目線と、プライドの塊のような姿勢がK派閥の反感を買ってしまい嫌われている。でも技術と知識とその向上心は尊敬に値する。でも本人はコミュニケーションもばっちりと思っているタイプのコミュ障。ほんと残念。そして最後M率いるM派閥。なんちゃって技術者ではあるが、自覚がある(という方は失礼だが)タイプ。できることとできないことの切り分けはしっかりしていたので仕事に対しては信頼できた。ことなかれ主義の集合でもあり、超粘着質のK派閥が面倒くさいのかKに同調してTをハブっていた。私は、派閥争いなどする気はないので必要以上なコミュニケーションはとらず、一切の衝突を無視した。と、いっても、私の席の配置が最悪だった。T M1 K1 K2机机机机机机机M2 M 私 K無視していても私を挟んで衝突するもんで正直鬱陶しかった。そして私は他人を尊重できないK派閥が苦手だった。というより嫌いだった。先にも書いた通り、K派閥は超絶根性論者。Kの意図を汲めないものは全て馬鹿。それを陰口でも言うし、当人にも言う人だった。言う相手は必ず絶対的に立場の弱い下請け業者に対してだった。実際、そういう場面に私は何度も立ち会わせており、申し訳なさと情けなさと恥ずかしさで死にそうだった。いつもK派閥が立ち去った後、下請けさんを追いかけて謝罪を繰り返した。なんの縁か前の会社でも取引のあった方たちで、本当に申し訳なかった。つd(ry どれだけ書いたんだろう私・・・ 498: 483 2014/08/20(水)02:35:33 ID:4D0JUgBYa それでもK派閥は同じプロジェクトではなかったし、まだましだった。私を崩壊へと導いて行ったのはMさんだ。私は入社当初からその人と同じプロジェクトを担当していた。入社して3週間は、例の巨大プロジェクトの納期まっただ中でミスが怖いからと、マニュアルを読むことしかさせてもらえなかった。この時点で胃に穴が開きそうだった。だが納期寸前で慎重になるのも仕方ないとこの時は無理矢理に自分を納得させなんとかやり過ごした。その3週間の間にMさんについてわかったことは、Mさんは時限式地雷人間であるということだ。入社したその日、部長から私はMさんと同じシステム担当と報告の会った時周囲の微妙な視線。2日目でその理由を理解した。Mさんは男性だが、機嫌が良かろうと悪かろうと大阪のおばちゃん顔負けのマシンガントーカーだった。そして、少々痴呆の気を疑いたくなるほど、同じ話を繰り返す。そういう人間、どこにでもいるってと思うかもしれないが、ちょっと格が違った。転職してからの私のタイムスケジュールを見てほしい。 AM10:00 出社・準備・メールチェック&返信 AM10:30 作業 AM11:00 何かに飽きたMさんの「あれってどうなってる?」から始まるバッシングと言う名のマシンガントーク AM13:00 お昼時間のため、マシンガントーク終了。 AM14:00 お昼から戻り作業 AM15:00 Mさん、昼食後の眠気に耐え切れず舟を漕ぎまくる。今がチャンスと猛烈な集中力を発揮して作業を進める AM17:00 Mさん、おひるねから復帰ししゃっきりしたところで、大抵決まった時間にコンビニに行く私に「一日に何回もどこ行ってるの?」から始まる謎の説教と、午前中話した「あれってどうなってる?」と同じ話をトーキング。ちなみにMさんも私と同じくらいコンビニに行く。 AM19:00 トーキング切り上げ今日も元気に定時退社のMさん。 AM20:00 人事から「残業は上長への申請と承認が必要です(きりっ」と追い出される8時間勤務中、4時間はMさんのバッシングトーク・・・じゃなかったマシンガントークを聞くという苦行だった。あまりの苦行にある時、作業をしながら聞いていると、突然真っ赤な顔をして怒鳴った。「ちゃんと話聞いてる!?」だっておwwwwwwwwwwwwwwwwwwwぷぎゃーwwwwwwwwwwww・・・失敬。怒声とともにバッシングお説教というトークが+1時間された。Mさんはしっかり自分の方を向いて話を聞いていないと満足しない。寺で座禅組む方が絶対楽だし建設的だと思った。そして、一日に同じ話を何回もするだけで終らないのがMさんだ。何日にもわたって同じ話を何回もするのがMさんクオリティなのだ。そして聞いているふりして聞いていないと、突然プロジェクトについてかなり重要な連絡を挟むので聞かないわけにもいかない最悪さだった。休職に入る直前は正直ノイローゼ気味だったと思う。いや、うつだったのか。つd(ry 499: 483 2014/08/20(水)02:36:50 ID:4D0JUgBYa これだけで最初の1か月でもう気が狂いそうだった。そしてまだまだ悪い事が起こる。先にも書いたかもしれないが、技術者の集まりであるはずの我が部署には、生粋の技術者はSしかいない。Sとはプロジェクトが被っていなかったため、たまに話しかけられる軽い雑談程度しか交流が無かった。しかし、Sとその他は軽い雑談どころか、業務に必要な会話すら拒絶するというあきれ果てた関係であった。そんな中、Sは私の事を、コミュニケーションを拒否しない、かつ、分野は違えど生粋エンジニア(つまり同類)と認識してくれたようでよく話しかけてくるようになった。私はSの自尊心の高い物言いは苦手ではあったものの、上から目線を気にしなければ普通の人だったので嫌いではなかった。話しかけられれば普通に会話をしていた。K派閥、M派閥とにかくこれが面白かったらしい。まるで告白現場をのぞき見していた小学生のような下種い絡み方をしてくるようになった。こいつら屑だと思った。このあたりからいよいよ身体と精神がおかしくなっていった。元々、幼少期からの多くの修羅場に対してケアを行うことなく生きてきた。自分でもメンタルをヤラれている自覚はあった。それでも今までどうにかなってきたのは、心理士さんいわく「元々の私さんが強かったから今まで頑張れた」だそうだ。しかし、今まで休むこともなく戦い続けてきたことで、エネルギーがなくなってしまったのだと。私の崩壊は、まず身体にきた。男性には少々気恥ずかしい内容かもしれないが、元々不順気味だった月経が、完全に不順になった。通常周期は30~35日周期らしいが、20日前後できてしまったり、通常7日程度で終わるものが14日以上続いたり。そして、私は重度の月経痛のため、月経中は身体中の関節に常に鈍痛が襲い、貧血と眩暈を起こし立っていられなくなることもしばしば。そういう日は座っていることも辛く、まともな思考力もわかない。出社すること自体が難しかったため生理休暇制度を利用していた。最初は制度自体を知らずに有給休暇で休んでいたが、ある時人事から休みの理由を聞かれ答えたところ、生理休暇性の利用を案内されたのだ。体質とはいえ、突発的に仕事に穴をあけてしまう申し訳なさはあったが、いつ来るかわからないその不調のために常に前倒しで業務を終わらせ、影響を最小限に抑えるように対処はしていた。それでも男性が8割をしめる部署であれば私の休みの多さは大いに目立つ。そして完全不順になったせいで更に目立つようになり、休みの多さについて上司と人事に呼び出された。月経痛の程度というのは同じ女性でも人によって差が激しいため、理解が得られない事がしばしばある。それはしかたのないことだ。私は上司(男性)にも人事(女性)にもまずは迷惑をかけていることを謝罪し、自分の詳細な症状を改めて説明した。つd(ry あと3~4レスくらい・・ナガイ 500: 483 2014/08/20(水)02:37:41 ID:4D0JUgBYa 上司はとても理解のある方で建設的な話をすることができた。Mさん、Kさん、Sさんの3名の板挟みにされている状態についてもなんとかしようとしてはくれた。上司「女性の身体の事は男の俺にはちょっとわからないけど、それだけの症状だと、無理に出社するのは危ないね。病院で治療も受けていて軽減したうえでそれっていうのは大変だ。倒れたことあるんだっけ?」私「何度かあります。しばらく横になって休めば多少動けはしますが、それでも外で活動できるレベルではないです。」上司「うんうん、その身体で出社しろってのは言えないな。電車のホームから落っこちたりしたら死んじゃうもんね。つか、俺らの部署は出社しなきゃ作業できない仕事じゃないんだよね。他の部署でも実績あるし、私ちゃんが希望するんであればそういう日は在宅作業も考えてみる?」私「在宅作業させていただけるのでしたらとてもありがたいです。痛みと貧血にかなり波はありますが、四六時中横になっていなくてはならないというわけではないんです。」上司「OK、OK。じゃあ出退勤をどうやってつけるかはまた別途相談するとしてー。ちょっと人事に相談してみるわ。私ちゃんからも俺と相談済みってことも含めてちょっと言ってみて。私ちゃんて生理休暇で休んでる時も結局ばんばん問い合わせメールに返信してきてるからほとんど仕事してるのと変わらないしね。臨機応変にやれることはやろう。」私「本当にすみません。ありがとうございます。」上司「あー、あとさ、もういっこ」私「はい。」上司「もう、ここでは超ぶっちゃけちゃっていいからさ。人間関係うまくいってないでしょ」私「はい(即答)」上司「即答かよww迷いねーなwww」私「そう見えるから聞かれたのでしょう?私には誤魔化す理由もありません。」上司「前から思ってたけど私ちゃん男前すぎだろうwww」私「ありがとうございます。でもぶっちゃけ人間関係を築く以前の話です。」上司「なんとなくそう思ってたけど俺は打ち合わせで席にいないことが多いからさー。ちょっと具体的にどんな事が起こってるか教えてくれる?」私「はぁ・・・ではまず私に一番影響の大きいこちらをどうぞ・・・」Mさんのあまりのマシンガントークに嫌気がさし、やけになりながら一日の作業実績を取っていたのでそれを見せる。上司「一日の半分以上か・・・あー、納得いった。私ちゃん、手が早いのにどうしてこなす量が少ないんだろーと思ってたんだよね。こういうことか。これじゃ会社来たくないでしょ」私「来ない方がはかどります。生理休暇を頂いてメールで仕事対応している時のがはかどります。不便ですけど」上司「よりいっそう在宅作業の交渉しなきゃなー。もちろん根本解決も必要だけど。とはいえあいつらも年食ってるからなー。今更性格矯正とか難しいんだよなぁ」私「SさんとKさんたちの状況は部長のがよくご存知だと思いますので」上司「え、あいつらのにも巻き込まれてるの?でもKたちとの絡みもないし、Sとはたまに雑談してるよね?」私「その雑談がKさんたちに火をつけたようです。子供みたいですよ。『できてんじゃないのーwwww』とか『やっちゃってんじゃないのーwwwwww』とか」上司「ガキかorz」私「ガキすぎて笑いそうです。そっちよりもKさんたちで気になるのは、下請けさんたちに面むかって馬鹿とか言うのはどうかと思います。勝手な事をしているとは思いますが、いつも打ち合わせ後に追いかけて謝り倒してます。私。」上司「ごめん、ちょっとそれはどうにかするわ・・・丁度人も増えるし近い内に席替えするわ。Mさんの矛先を分散する」私「わかりました。ご迷惑をおかけします」この時、私はこの会社にきて初めて感動したのを覚えている。契約違反の業務を担当させられていることには変わらず不満があるが、私は初めて「お前が悪い」と言われなかった。普通なら切り捨てられるであろう話に理解を示し、かつ環境を整えようとしてくれる姿勢に本当に感動したのだ。そんな上司とは対照的に、人事とのやり取りは残念なものだった。つd(ry 501: 483 2014/08/20(水)02:39:15 ID:4D0JUgBYa 人事「お休みが多いですね」私「生理休暇です。以前もご相談さしあげました。」人事「でもお休みはお休みですよね」私「ええ、それはおっしゃる通りです。しかし(再度症状の説明)というわけで、出社したくてもできないんです」人事「そうですね。それは仕方ないですね。でも、生理休暇を利用してない人も多いんですよ?」私「生理休暇を案内してくれたのは人事さんですが?」人事「病院で治療した上でその症状だっておっしゃってますけど本当ですか?私も生理痛が酷かったんですけど、治療したらすごくよくなりましたよ?よくならないっておかしいんじゃないですか?」私「これでもかなりマシになったんです」人事「本当ですか?もっと別の病院に行った方がいいんじゃないですか?ちゃんと通ってるんですよね?」私「通っていたという過去形です。」人事「じゃあまた行ってください。ちゃんと治して生理休暇なんて使わないでください。不公平なんで!」私「(不公平・・・就業規則で定められている権利を行使することが不公平って人事としていいのかそれ)行ってみますけど・・・完全に改善される保証はないんですけど、それは理解していただけてますか?」人事「私が治ったんだから治らないのはおかしいです。私さんだけ毎月生理休暇取るのとか許すわけにもいかないんで」私「・・・・就業規則にもはっきり明記されている従業員の権利ですけど・・・」人事「ええ、だから取得していただくのは結構ですけど、評価は下がりますよ。その内労務遂行不能として契約違反扱いになるかもしれませんね。」私「(こいつ遠まわしに脅してきやがった)」私「上司から、在宅作業のお話はいっていますでしょうか」人事「あ、はい。伺ってますが駄目です」私「理由を教えていただけますか」人事「出社できない身体じゃないですから(にっこり)」私「出社できる体調ではないから生理休暇制度を利用しているのですが・・・?在宅作業の実績はあったともうかがってますが・・・」人事「はい、その方はですね。足を御怪我なさって手術して自宅療養期間があったからですよ。足をけがしてたら出社するの大変ですからね。身体、というか頭ですかね。は、元気!という方だったので、自宅療養期間中は在宅作業をOKとしました。無理に出社して通勤中に事故に会ったら大変ですからね」私「それと私の何が違うと・・・?」人事「足をけがしているわけではないでしょう?出社はできるじゃないですか☆」私「骨折した足で出勤する際、事故を起こしてけがをするかもしれない可能性と、貧血起こして倒れて事故を起こしてけがをするかもしれない可能性は別だと?」人事「だから、病院に行って治療してくださいと言っているんです。」私「では、治療期間中の生理休暇取得は評価に影響を与えないんですか?」人事「与えるに決まってるじゃないですかー」私「そもそも治療後も症状が軽減しなかったらどうなるので?」人事「評価ダウンは避けられないと思いますよ?」私「労務不能による解雇も辞さないという事?」人事「そこまでは言ってないですよ☆」私「・・・従業員に与えられている権利の行使を認めないというのであれば、もう一度在宅作業をご検討ください。私自身も通院はしますが、体質というのは意思だけでどうにかできる問題でもないのです。時間ですから今日はこれで」その後、結局在宅作業が認められることもなく、生理休暇制度は利用せざるを得ず評価もぐんぐん下がり、収入もがんがん下がった。上司は人事と交渉を続けてくれたようだが、この会社の人事は社内でも仕事をしない事でかなり有名だったことをしばらくして知った。仕事が増えるのが嫌だったんですね。つd(ry 502: 483 2014/08/20(水)02:39:50 ID:4D0JUgBYa 転職して2年目に入る頃には月経による不調だけではなくなっていた。元々、幼少時から寝つきは悪かったがそれに磨きがかかる。0時前に横になっても眠れるのは朝方の4時をまわるころなど日常だった。フレックスだったため朝は10時出社でよかったのでまだマシではあったが、それでも睡眠時間は2~3時間だった。フラッシュバックなようなものも増え、人との接触に対して再び恐怖を覚えるようになり満員電車が苦しくなった。人との接触を完全に避けて生きて行くことはできない。そう思って長い時間をかけて大分慣れてきていたのに。毎朝尋常じゃないほどの気合を入れなければ出社のために靴を履くことができなかった。食べ物の味もわからなくなっていった。美味しい店を探して食べるのが大好きだったのに何を食べてもおいしいと感じなくなった。休職直前には、朝目がさめても寝床から身体を起こすことさえできなくなっていった。それでも、午後からは出社して仕事だけは終わらせていた。部内の人間の目は冷ややかだったが部外の人は私の事をひどく心配してくれていた。それだけはとてもありがたかった。部外の人間から見ても、やはりKさんやMさん、Sさんは異常に映っていたらしい。3方向から板挟みにされ、日に日に気力を失くしていく私を随分と気遣ってくれた。私の業務は全社員が関わってくるために問い合わせが多く、顔見知りも多かった。そういった人たちは「大丈夫ですか?」「顔色が悪いですよ」「無理せず休んだ方が良いですよ」と声をかけてくれた。中には、私がどういう契約で入社したかを知っている人もおり、どうせこのままやっていても思った仕事はさせてもらえない。いっそのこと部署移動をしたらどうか。自分のところにこないか。そう言ってくれる人までいた。とてもありがたかった。でも、ひたすらその分野を追及してきた私には、今更どうやって他の仕事をすればいいのかわからなくなっていた。そして、最終的に、人事から産業医への面談を強制的にセッティングされ、産業医からは心療内科での診察を厳命された。最初は睡眠導入剤で睡眠時間を確保できたため、一時回復を見せたものの、徐々にもとに戻っていった。そして心療内科に通院するようになってから1年、だましだましもがいてきたものの勤務状況には改善が見られず、ついに産業医から休職を通告された。通告されたのは木曜日だった。翌日の金曜日には荷物を片付けて休職となった。部内の人間には、金曜の夜、全員が帰宅した後にメールで休職を伝えた。部外の心配してくれた人たちには、昼間のうちに挨拶にまわり、しかかりを残して休職してしまうことをお詫びしてまわった。みんな本当に優しかった。休職に入ってから、家族に相談することもできず1人で傷病手当金で生活していた。だが、収入が激減していたおかげで保険料改定の際に等級がどんと下がり、手当金支給額が10万近く減りいよいよ二進も三進もいかなくなった。その時、あまりの金額の下がり方に疑問をもち色々調べて問い合わせをしたところ改定計算ミスが発覚し、ある程度の金額は戻ったものの、完全に生活できる次元ではなくなった。実家を頼るしか選択肢がなくなっていたが、タイミングが悪い事に、絶縁状態だった父方の祖母がアルツハイマーを発症し、実家もかなり疲弊状態であることを知っていた。「なぜ私の人生はこんなにタイミングが悪いことばかりなんだろう」深く絶望し、いよいよ首を吊ろうかと本気で考えもした。しばらく、自傷行為の衝動を抑えるのも大変だった。実家に相談しても「お前が悪い」と言われるんだろうと落ち込んだ。「こんな時に何をやっているんだお前は」と言われてしまうんだろうかと考えた。生活保護とか申請したら受け取れるだろうかとかも考えていた。親族がいるのだから受け取れない事もわかっていた。散々考えて考えて考えて、実家に相談するしかないと自分を追い込みきってようやく、連絡することができた。つd(ry 503: 483 2014/08/20(水)02:40:14 ID:4D0JUgBYa らすとそれでも電話はできず、メールを送ることしかできなかった。父に半年ほど前から休職していること。保険料の改定で傷病手当金が激減したこと。今の状態をなるべく維持して寛解に持っていきたい事。そのために資金援助を頼めないかとメールした。本当に情けなくて恥ずかしくて怖かった。メールを送って3分もしないうちに父から電話がかかってきた。しばらく電話に出るのが怖くて固まってしまった。電話に出ると当たり前だけど父の声が聞こえてきた。よく考えたら父と電話越しに話すのなど数えるほどしかなかったかもしれない。会話は結構鮮明に覚えている。父「お父さんだけど、メール見たよ。休職って身体壊したのか?」私「うん」父「どこ悪くしたんだ」私「(鬱だというのが恥ずかしく、ごにょごにょごまかしてしまう)」父「重いのか?」私「俗にいう、うつってやつです・・・」父「なんだ、うつか。死ぬ病気かと思ったじゃないか」私「ごめんなさい」父「いつから休職してるんだ」私「5月の終わりくらいから」父「そんな前からか。でも貯金してたんじゃなかったのか?」私「休職する前からずっと休みがちだったから貯金食いつぶしてて」父「わかった。金の心配はしなくていい。いくらいる。」私「え?」父「フルで仕事していた時の給料との差額はいくら?」私「月10万・・・」父「10万て食うもの食わずに節約して生活してたんじゃないだろうな!?」私「食うものは食ってます・・・(本当は食う気力が無くて自然と食い物節約していたとは言えなかった)」父「わかった。毎月何日に振り込みがいい?」私「え、あ、じゃあ25日で・・・」父「わかった。どうせまともなものも食ってないんだろう。適当にちょいちょい飯でも食いに帰ってこい」私「はい・・・ありがとうございます・・・」どれだけ怒鳴られるだろう怒られるだろうと怯えながら電話をとったので頭が現状に追いついていなかった。電話を切ったあと、また5分とたたずに父からメールがきた。父「取りあえず今10万振り込んだ。一人で悩まず相談しなさい」なんと言っていいのかわからなかった。家族に悩みを相談するという経験もなく、友人も悩みを聞いたり、八つ当たりをされることはあっても、聞いてもらえることはなかった。私の人生、誰かに相談するということがまずはなかった。愚痴を言うということもあまりなかった。聞いてくれる人がいないから。この時、自分は誰かに相談をしてもよかったのかと初めて気づいた。ずっと自分の事は自分で解決しなくてはならなくて、一度家を出て一人暮らしをしたら二度と頼れないと思っていた。何か悪い事が起きた時は必ず自分のせいなのだと思っていた。資金援助をしてもらえるようになってから、随分と落ちつけてきた気がする。休職に入ってからも常に生活費のことばかり考えて気が休まる時がなかった。日雇いのバイトでもしようかと真面目に心理士さんに相談したりもした。それは収入があるとして傷病手当金が受け取れなくなるからいいよとは言えないって言われた。実家に援助してもらえるようになってから、家の中で何かをする気力も出てくるようになり、1年が過ぎた今は大分外出できるようにもなった。今はまた別の問題が浮上しているんだけど、落ち込みはしているもののそれなりに考えられている。心理士さんにも、随分話せるようになったねと言われた。自分でもわかるほど、自分のことを話せるようになった気がする。立ち直ってきたかなとは思いつつも、もうすぐ強制退職&傷病手当金支給期間が終わるので次の仕事どうしようという修羅場は続いている。 504: 483 2014/08/20(水)02:41:58 ID:4D0JUgBYa 超絶長文でレス消費してごめんなさい。どっかにどうしても吐き出したかった。でも吐き出せたことで、また少し、自分の頭の中が整理できました。>>484さん、聞こうかって言ってくれて本当にありがとう。勝手な自分語りに付き合ってくれてありがとう。 505: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)03:11:40 ID:3oHesz27F 読んだぞ 確かに長いなw 506: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)03:13:03 ID:3oHesz27F いや 大変だな 退職は決定事項なのか? 507: 483 2014/08/20(水)03:13:22 ID:4D0JUgBYa うわあああ本当に最後まで読んでくれたんですかありがとう長くてごめんなさいorz自分の中で全部が全部絡みすぎてて削るところがわからなかった(´・ω・`)こっそり聞いてもいいですか、ここってもしかしてsage進行ですか・・・? 508: 483 2014/08/20(水)03:13:58 ID:4D0JUgBYa 退職は決まってしまいました。人事からさっさと書類を出せと2日に1回電話が来ます(´・ω・`) 509: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)03:14:48 ID:3oHesz27F いやsage進行ではないよ 510: 483 2014/08/20(水)03:16:50 ID:4D0JUgBYa よかった、そこを気にせず超投下してしまったのでちょっと焦ってしまいました 511: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)03:19:20 ID:3oHesz27F 483は我慢強いんだな すごいな俺だったらもっと早く辞めてるよ 512: 483 2014/08/20(水)03:21:41 ID:4D0JUgBYa 我慢することが当たり前になってしまっていたんです。新しく出会う人とのコミュニケーションもやっぱり苦手なのでこの転職もすごい決意でしたんですけどこんな結果になってしまいましたw父が厳しい人だったので、「また仕事変えたのか!」って怒られるかもしれないっていう怯えもありましたw 513: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)03:25:15 ID:3oHesz27F 体調のほうは大分良いのか 転職するにも体調が戻らんと なあ 514: 483 2014/08/20(水)03:27:52 ID:4D0JUgBYa 通院している病院がすごく当たりだったのか、処方された薬がすごく少なくて、かなり自分で生活時間をコントロールできるようになってきました。あとは引きこもりで落ち切っていた体力を取り戻してリハビリするだけだねという段階まではきてるんです。寛解まであと少し!というところです(*'ω'*)v 515: 483 2014/08/20(水)03:29:52 ID:4D0JUgBYa 連投になってしまいますが・・・今の問題は父がかなりはっちゃけでは無いですが心配していて、一生懸命実家に�…