
1: 煮卵 ★ pERFzO2d9 2026-08-30 16:54:09 男系継承が色濃く反映された改正皇室典範が10月24日に施行される。一方で、「男系男子による皇位継承」は明治時代に初めて明文化され、「古来の伝統」との主張に懐疑的な見方もある。この間の議論を明治立憲体制の研究者はどうみたのか。国際日本文化研究センターの瀧井一博教授は男系継承よりも重要だとする今後の論点を指摘する。 ――過去には女性の即位や、母から子への皇位継承もみられましたが、明治時代に男系男子による皇位の継承が大日本帝国憲法と旧皇室典範で初めて明文化されました。この背景をどう考えていますか。 時代の要請と国際標準に合わせた結果だとみています。当時の欧米列強をみれば、君主はみな軍の最高司令官で、その多くが男性であって「軍服」を着るわけです。明治天皇も即位から数年で軍服を着て人前に姿を現しました。 日本も欧米列強の国際秩序の中に参画していこうとするならば、やはり同様の「君主」を持つ「文明国」となる必要がありました。幕末以降に結んだ「不平等条約」の改正を目指す日本にとって、国家のあり方はグローバルスタンダードにかなう必要があったのです。 英国など一部では女王の例もありましたが、ドイツなど多くの欧州大陸の国々では男系男子による継承が原則だったので、日本はそちらを選択したということです。 ◼発見者は明治憲法の「真の起草者」 ――明治憲法の起草を主導した初代内閣総理大臣の伊藤博文は当初、女性による皇位継承も容認していました。しかし、最終的に「男系男子」に限定されました。 伊藤は、過去には女性天皇も存在したので、女性にも継承権があるということが歴史にも則したものだと理解していました。 ただ、当時の法制官僚で、明治憲法の「真の起草者」とも評される井上毅が、研究の結果、歴代天皇はすべて「男系」であるということを「発見」したのです。 伊藤ら明治の要人が学んだ欧州の学者からも「男系男子」に限った方がシンプルで良いという助言が寄せられました。 ――どのような助言だったのでしょうか。 伊藤博文が「憲法の師」としたウィーン大教授、ローレンツ・フォン・シュタイン(1815~90)による助言です。明治中頃に日本から数多くの要人がウィーンまで教えを請いに行く「シュタイン詣で」という現象が起きたことで有名です。伊藤が1882年に憲法調査のため渡欧した際にシュタインのもとを訪ねたのがきっかけで、以降、皇族や明治天皇の側近も含め多くの日本人が面会しています。 シュタインのアドバイスは、皇位継承の際に混乱が起きないようにあらかじめ継承順位はしっかりと法定しておくべきだということでした。その上で、まずは男系男子、なかでも長子が優先することや嫡出(ちゃくしゅつ)子が原則であることなどの考えを示し、明治憲法や旧皇室典範の制定作業に大きな影響を与えたと考えられます。 「男系男子による皇位継承」があたかも古来の日本の唯一の原理だというふうな主張は説得力に欠けると思います。 [朝日新聞](有料記事) 2026年8月30日 10時00分…