2008年6月8日、日曜日の秋葉原。加藤智大が怒りを向けた先は、母親ではなかった。職場の人間でもなかった。掲示板で彼を苦しめた相手でもなかった。その日、秋葉原を歩いていた、まったく無関係な人々だった。トラックが歩行者天国に突っ込み、倒れた人々の間を、男が刃物を持って歩いた。7人が死亡し、10人が負傷した。秋葉原無差別殺傷事件である。なぜ、怒りはそこへ向かったのか。事件後、加藤については多くのことが語られてきた。母親による支配的な養育。職場での孤立。作業着が消えた日の衝撃。ネット掲示板という“最後の居場所”。そして、自分は否定されているという強い被害感。だが、それらを一つずつ「原因」として並べるだけでは、この事件の異様さは見えてこない。重要なのは、加藤の中で、それらがどう重なったのかである。母親、会社、掲示板、社会。本来なら別々だったはずのものが、彼の中ではいつの間にか「自分を否定する世界」としてつながっていく。母親に向けられなかった怒りは、なぜ社会全体への敵意のように広がったのか。職場の作業着や掲示板のなりすましは、なぜ彼にとって「存在を消されること」になったのか。そして、なぜ最後に、何も知らない通行人がその標的になったのか。秋葉原事件の怖さは、社会に不満を持った人間がいたことではない。自分の痛みを、無関係な他人の命で証明しようとしたことにある。…