1: 首都圏の虎 ★ SskgDN7j9 2026-07-04 13:44:53 (略) 東京志向化する九州 人口移動の要因として、就職は最も大きな割合を占めている。現在では大学卒業後に就職する人が多いが、1965年から1997年までは高卒での就職が最も多かった。図1-11より、高等学校卒業者の就職先の変化を見てみよう。 1980年には、福井県から三重県にかけての「三関」のラインを境に、東日本では東京都、西日本では大阪府への就職者が多かった。例外は福岡県と沖縄県だけで、全体としては明確な東西対立構造が存在していた。 しかし、1990年になると、九州のすべての県で東京都への就職者が多くなり、広島県や山口県でも東京のほうが多くなった。東京と大阪という日本の二極構造は、東京を中心とした一極構造へと変化しつつある。 とりわけ九州の変化は大きい。1980年代には、「九州の東京志向化」が進んだと言えるだろう。戦後の日本においては、大都市圏に人口が移動した時期が3度あった(図1-12)。�@1950年代〜1970年代初頭の高度経済成長期、�A1980年代のバブル期、�B1990年代後半からリーマンショックまでのITバブル期である。 このうち、高度成長期には東京圏だけでなく大阪圏にも人口が移動したが、その後の二度の大移動では東京圏にばかり人口が集まり、大阪圏の人口はむしろ減少の一途をたどった。高度成長期以降には、地方圏の人口が大阪や名古屋を飛び越えて直接東京に動く傾向が強まったと言えるだろう。図1-11で見たように、九州はその典型的な例である。 地方圏が東京との結びつきを強めた理由はいくつか考えられるが、その一つに交通事情の変化が挙げられる。1970年には約1500万人だった国内航空旅客輸送量は、2000年には約9300万人と、30年で6倍以上増加した。その半数以上は、首都圏の空港が占めている。反対に、関西の航空旅客輸送はほとんど伸びていない。航空輸送は、もっぱら各地方と首都圏を結ぶかたちで発達してきた。 図1-13は、日本の各空港について、羽田空港と大阪国際空港のうち流動が多いほうに線を引いたものである。1970年には大阪が中四国のみならず九州に対してもハブの役割を果たしていたが、1987年には、完全に東京に中心が移ったことが分かる。 (略) 全文はソースで …