
1: 少考さん ★ 2026/06/23(火) 09:54:02 ID:oKYaH9W99.net 沖縄県はきょう23日、「慰霊の日」を迎えます。 今から81年前の1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍による組織的な戦闘が終結したとされる日です。 沖縄戦は日本で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦でした。 戦闘による戦没者は日米合わせて約20万人。 うち住民は9万4千人に上り、県民の4分の1が犠牲になったとされます。 沖縄は終戦後、日本本土と切り離され、日本の独立回復後も人権無視の苛烈な米軍統治が続きました。 72年に施政権が日本側に返還された後も沖縄には多くの米軍基地が残り、基地に起因する騒音や事故、環境汚染、米兵らの事件・事故は今も後を絶ちません。 慰霊の日は、軍民を問わず亡くなった人々の御霊(みたま)を慰めるとともに、過重な米軍基地負担を今も強いられている沖縄県民の苦難に思いをはせる日でもあります。 ◆展望なき消耗戦の末に 沖縄に初めて米軍の空襲があったのは44年10月。 集中的に狙われた那覇市では当時の市街地の約9割が焼失。 県は米軍上陸に備え、学徒を軍に直接編入する「鉄血勤皇隊」や一般住民による「義勇隊」を編成するなど、軍と一体で県民の戦力化を進めました。 本土攻略の足掛かりとするため沖縄に戦力を結集した米軍は45年3月26日、沖縄本島近くの慶良間(けらま)列島に上陸。 4月1日には1500隻近い艦船と延べ約54万人の兵力で本島への上陸を始め、日米両軍が激しい攻防を展開しました。 南西諸島を守備する第32軍は司令部を置く首里が猛攻撃を受けると沖縄本島南部に撤退。 すでに南部に避難していた住民を「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の猛攻撃に巻き込みます。 展望なき消耗戦が住民の犠牲を増大させたのです。 この間、日本軍は住民に米軍への投降を禁じたり、ガマと呼ばれる壕(ごう)に避難した住民が日本兵に追い出されたり、自決を強いられたとの証言が多く残ります。 極限の状況とはいえ、こうした日本軍の行動は沖縄の人々にとって、軍隊は住民を守らないとの教訓につながります。 それだけでなく、日本軍の将兵が沖縄の住民を直接頃害したとする証言や記録もあります。 その際の理由とされたのが「スパイ」でした。 戦前戦中のスパイ防止法である「軍機保護法」「国防保安法」は機密保護を掲げつつも実際には反戦思想を取り締まり、住民に相互監視をさせる役割を担います。 沖縄では軍機や反戦と無関係な住民もスパイにでっち上げられ、日本兵に虐頃されました。 沖縄戦を研究する林博史関東学院大学名誉教授は「沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか」(集英社新書)で事例を記します。 ▽(本島北部の)大宜味村(おおぎみそん)では、米軍に捕まった元巡査が山に逃げてきて日本が負けていると話したところ、スパイとして頃された。 ▽米軍に捕まって田井等(たいら)収容所(現在の名護市)に入っていたが自分の集落に戻ろうとした住民四人が日本軍によって斬頃された。 これらの事例は一部です。 本島西方沖の久米島では沖縄戦の終結後も、日本海軍守備隊の日本兵が島民らをスパイとみなして相次いで頃害し、少なくとも20人が犠牲になる虐頃事件も起きました。 住民をスパイ視することが、実際に戦場となった沖縄では、より極端な形で現れたと言えます。 ◆政府に従わぬ者を排除 高市早苗政権はインテリジェンス(情報の収集・分析)機能の司令塔を担う国家情報会議の創設法を成立させました。 インテリジェンス・スパイ防止関連法制の整備に向けた一環で、政権は今後、国外で諜報(ちょうほう)活動を行う対外情報庁と情報要員育成機関の新設に向けた検討を加速させる方針です。 高市氏は国会で「普通の市民が調査対象になることは想定されない」と答弁しましたが、到底信用できません。 スパイ防止法の矛先は外国人のみならず、自国民の言論、思想の自由まで封頃するのが歴史の教訓だからです。 政府が名護市辺野古で進めている米軍飛行場の新設工事を巡り、SNSでは反対する沖縄県民を攻撃する投稿にあふれています。 政府の意向に沿わない者に「レッテル」を貼り、徹底的に排除する構図は戦時の沖縄と重なります。 政府の行により、多くの住民が再び犠牲になることがないと断言できるのか。 沖縄慰霊の日は、私たちに問いかけています。 〈社説〉沖縄慰霊の日に考える 戦時に重なるスパイ法:東京新聞デジタル 2026年6月23日 07時36分 〈社説〉沖縄慰霊の日に考える 戦時に重なるスパイ法:東京新聞デジタル沖縄県はきょう23日、「慰霊の日」を迎えます。今から81年前の1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍による組織的な戦闘が終結したと...東京新聞デジタル…