1: 蚤の市 ★ 2026/06/02(火) 08:45:26.42 ID:n3CA53YE9 織田信長が討たれた「本能寺の変」があった1582(天正10)年6月2日、備中高松城(岡山市)を包囲する羽柴(豊臣)秀吉と対陣していた毛利氏一門の武将が残した書状の原本が見つかった。調査した東京大史料編纂(へんさん)所の村井祐樹准教授(日本中世史)によると、秀吉の水攻めで有名な戦いを、敵対した側の視点でリアルタイムに記した1次史料の確認は初めてで貴重という。 (略)書状では、城から約2キロの岩崎山に5月21日に到着し、秀吉軍と対陣していると説明。「(敵は)川の水を流して下手をせき止めて、包囲して責め立てているので、こちらからの加勢も、城内の士気をあげることにならず、毎日心配している」と毛利氏の苦戦ぶりを明かし、「この期に及んでは『安否の一戦』(勝算も定かでない決戦)を行うほかはない」と切迫した戦況を伝えている。 (略)本能寺の変を巡っては、和睦後に信長の死を知った毛利氏が秀吉の背後を突かなかったことから、事前に両者の間に密約があったとの説もある。村井准教授は「勝ち目がないとみていた毛利氏にとって、秀吉からの和睦の申し出は渡りに船だったのではないか。この書状の出現で密約説は明確に否定される」と話した。 書状は6日から岩国徴古館で展示される。【大山典男】 毎日新聞2026/6/2 05:00(最終更新 6/2 05:00)…