1 名前:七波羅探題 ★:2026/04/25(土) 07:36:18.27 ID:9wnT8dPC9.net 文春オンライン4/25 京都府南丹市の小学生・安達結希さん(11)が山林で遺体で発見され、安達優季容疑者(37)が死体遺棄の疑いで逮捕された事件。行方不明として捜索がはじまった3月下旬から連日報道され、ネット上では虚偽情報さえ飛び交った。事件はなぜ、これほど大きな関心を集めているのか。一連の動きから浮かび上がる社会の背景や人間の心理、そして問題点について、臨床心理学・犯罪心理学の専門家である原田隆之氏(筑波大教授)が寄稿した。 ■事件の衝撃と過剰報道 京都府南丹市で起きた児童死体遺棄事件は、多くの人の関心を呼んだ痛ましい事件であった。幼い子どもが突如として行方不明になったあと、遺体として発見され、養父が容疑者として逮捕されるという衝撃も相まって、社会的関心が高まったのは自然なことである。 しかし今回、事件そのものと並行して、マスメディアとSNSにおける「情報狂乱」とも呼べる異様な現象が起きた。 まず、テレビでは、連日トップニュースで長い時間を割いての報道が続いた。捜査が大きな進展を見せていないときは、容疑者が通勤前に自販機で飲み物を買うのがルーティーンだったなど、事件の本筋とは関係のないことまで繰り返し報じられた。他のニュースよりも大きく時間を割くにしては些末な内容であったし、事件報道の域を超えているようにも思われた。 また、海外のテレビ局が、「容疑者は外国籍である」と全くの誤報を流すという失態も犯した(この局は放送の2日後、情報が誤りだったとして謝罪している)。日本のテレビ局でも、容疑者とは別人の映像を流すなど、情報空間そのものが混乱状態に陥っていると言ってよい様相であった。 一方、SNS上では根拠不明の憶測やデマが大量に拡散された。容疑者が逮捕される前の段階から、憶測で「犯人」を決めつけたり、その年齢や国籍などについての誤った情報を垂れ流したりする投稿が毎日のように見られた。 たとえば、容疑者や関係者が鳥獣処理施設に勤務しているという誤情報が、瞬く間に拡散された。当の施設にはそもそも常駐の職員はおらず、「全くの虚偽」であるにもかかわらず、役所にはたくさんの迷惑電話などがあり、業務に支障をきたすほどであったと報じられている(※)。 なぜ、この事件に対して、このような「情報狂乱」が生じたのか。そこには人間心理とメディア構造の双方が関わっている。 ■曖昧さに耐えられない心理 まず重要なのは、人間が曖昧さに耐えることを苦手とする存在だという点である。今回の事件では、行方不明から遺体発見まで時間があり、経緯にも不可解な点が多く、初期情報も断片的であった。 こうした状況では、人は「まだ分からない」という曖昧な状態に強い不快感を覚える。心理学では、曖昧さや不確実性は不安を高め、人はそれを抑えるために早く意味づけや答えを求めるとされている。つまり、情報が不足しているときほど、人々は空白を憶測で埋めたくなるのである。 その結果、「警察は何かを隠している」「隠された真実はこうだ」「怪しいのはこの人物だ」などといった憶測が、根拠もなく無責任に流通し始める。しかも、一度ストーリー化された情報は、人の記憶に残りやすい。単なる未確認情報であっても、もっともらしい筋書きを持つと、人はそれを事実に近いものとして受け取ってしまう。 ■感情を大きくかき立てた3つの要素 また、今回の事件は、人の感情を大きくかき立てる事件であったことも関係している。児童の行方不明、家族関与の疑い、死体遺棄という要素は、不安、怒り、悲しみなどを同時に刺激する。 感情を強く動かす情報ほど、人は他者と共有したくなる。SNSについての研究でも、怒りや驚きを喚起する投稿は拡散されやすいことが知られている。冷静に「まだ分からない」と述べる投稿より、「真相はこれだ」などと断定する投稿の方が注目を集めやすい。そして、それが曖昧さに答えを与えてくれるようなものであれば尚更だ。 つまり、情報の正確性ではなく、感情の強さが拡散力を決める構造がある。これがデマや誤情報の温床となる。SNSは民主的な情報空間である一方、感情増幅装置でもある。 ■事件をエンタメ化して消費する社会 さらに見逃せないのが、重大事件が参加型コンテンツ化している点である。本来、事件報道とは、国民の知る権利を守るために社会に重要な情報を伝えつつ、権力を監視し、市民の安全意識と公共的議論を促すことにある。 しかし、今回の事件報道では、事件が「考察ゲーム」「推理コンテンツ」であるかのように、長時間にわたって過剰な報道がなされ、事件報道の目的などはどこかに消し飛んでいるかのように見えた。 ※以下出典先で 引用元:…