
1: 少考さん ★ 2026/04/12(日) 14:50:32 ID:2pjyef+f9 「でもしか先生」がヒョウ柄着続ける覚悟 萎縮する社会の中で | 毎日新聞 菅沼舞 有料記事 2026/4/12 08:01(最終更新 4/12 12:06) ある生徒は答案用紙の裏に「美津子、がんばれ」と書いてくれた。 肝心のテストの点数は0点だったが、その思いやりが心にしみた。 「先生は間違ったことなんて、教えてへんやん」と直接声をかけてくれる保護者もいた。 前編はこちら 慰安婦歴史伝え続けて30年 「あらがう教師」と呼ばれて 慰安婦歴史伝え続けて30年 「あらがう教師」と呼ばれて | 毎日新聞 自分を呼ぶ子どもたちの大きな声が、体育館にこだました。「みつこー!」「みっちゃーん」。3月下旬、大阪府北部の公立中学校で開かれた1年生の球技大会。社会科教諭の平井美津子さん(65)は、元気に動き回る子どもたちの声と姿を脳裏に焼き付けていた。毎日新聞 教育を取り巻く環境は次第に萎縮していき、2000年代前半から徐々に教科書から「慰安婦」という言葉は消えた。 生徒たちにその事実を伝えると、純粋に疑問をぶつけてくる。 「何で無くすん?」。 その姿を見て、平井美津子さん(65)は自分に誓った。 「私は負けへん」。 つらい体験をしながらも、勇気を出して語ってくれた人の声を歴史に埋もれさせたくない。 そう強く思った。 授業への圧力はその後もくすぶり続けたが、平井さんはめげなかった。 慰安婦の記述がある教科書とない教科書を比較したり、「戦地に行った女性がいる」という記述を手がかりにしたりして、授業を続けた。 気が付けば、「あらがう教師」と呼ばれるようになっていた。 ボディコンスーツをまとって 熱意があってパワフルという印象が強い平井さんだが、子どもの頃から教員を目指していたわけではない。 教員にでもなるか。 教員にしかなれない――。 そんな消極的な動機で就職した教員は高度経済成長期に「でもしか先生」と呼ばれたが、平井さんは「私も同じ」だと笑う。 大学では、日本の中世史を学んだ。 就職活動の時期になって、女性の職業選択の幅の狭さに直面した。 当時は男女雇用機会均等法はなく、女性は結婚したら家庭に入るのが当たり前の時代だった。 企業の女性採用はごくわずか。 それも「自宅通勤に限る」などの条件付きだった。 進路に迷う平井さんに教師の道を勧めたのは、教育実習先で再会したかつての恩師だった。 「勉強はできへんけど、人の世話は好きやろ」。 確かに困っている人がいると、ほうっておけない性格だった。 ただ子どもと接した経験が少なく、小学校教員はハードルが高く思えた。 高校教員は進路指導が大変そう。 消去法で中学教員を選んだ。 教員になってからは、ジャージー姿の先輩や同僚を横目に、ボディコンスーツに身を包んで授業をした。 あるとき、新しく入学した男子生徒が話しかけてきた。 「毎朝派手な女の人が通るなあと思ってたけど、先… 残り2187文字(全文3136文字) 「でもしか先生」がヒョウ柄着続ける覚悟 萎縮する社会の中で | 毎日新聞 ある生徒は答案用紙の裏に「美津子、がんばれ」と書いてくれた。肝心のテストの点数は0点だったが、その思いやりが心にしみた。「先生は間違ったことなんて、教えてへんやん」と直接声をかけてくれる保護者もいた。毎日新聞…