1: 鉄チーズ烏 ★ 2025/06/27(金) 20:30:24.91 ID:1IaPqMYr9 杉山茂樹スポーツライター 6/27(金) 19:05 クラブW杯。古くはインターコンチネンタルカップで、1980年からヨーロッパ、サウスアメリカカップ、通称トヨタカップとして日本で開催された。欧州チャンピオン対南米チャンピオンの戦いだった。 日本のサッカー界には当時、進むべき方向性において対立軸があった。南米か、欧州か。南米スタイルは個人技重視、欧州スタイルは組織重視とそれぞれ解釈されていた。日本リーグでは読売クラブがブラジル志向で、三菱重工がドイツ志向のチームだった。年々勢いを増していたのは前者。ブラジル出身の選手が多くプレーしていたこともあり、日本の世の中はブラジル志向シンパシーを抱くようになっていた。 トヨタカップもそうした動きに呼応するように、当初は南米勢が優勢だった。1980年から5大会連続で勝利していた。欧州勢がトヨタカップに力点を置いていないことも原因の1つに挙げられたが、欧州サッカーの優位性が現在ほど高くなかったことも事実である。 欧州優位が鮮明になるのは、1988-89、1989-90シーズン、プレッシングサッカーを掲げるミランがチャンピオンズカップを連覇したあたりからだ。1996-97シーズンに移籍の自由を謳ったボスマン判決が施行され、外国人枠が事実上撤廃されると、世界各国の有力選手が欧州に集結。南米と欧州との間には大きな格差が存在することになった。 引用元:…