
1: 樽悶 ★ 2026/03/19(木) 18:55:22 ID:AyqBtSQD9 日本の石油輸入の生命線となる中東・ホルムズ海峡の「事実上の封鎖」で、ガソリン価格が高騰するなど日々の生活に影響が出始めている。 「石油確保」は、近現代の日本では長らく国家的な懸案で、それを巡って戦争という悲劇も起きた。 国内でもさんざん探したが見つからなかった「大油田」。 産業的規模には遠いかもしれないが、実は石川県白山市に「産油地」があった可能性がある。 ただ忘れ去られた存在だ。 ◇石川の「燃える土」「燃える水」 国の成り立ちを記す「日本書紀」は天智天皇の時代、668年に「越国(こしのくに)」から「燃える土」と「燃える水」が献上されたと記している。 当時の越は、福井から山形・秋田までの広域の日本海側を示す地名で、石油生産が現代まで続く新潟県からの貢ぎ物と推定されてきた。 記者はこれを念頭に、石川県白山市の県営水道(県水)取水口付近の油分混入を受けた2月の記者会見で「原油噴出など自然現象」の可能性を聞いた。 馳浩知事は「それはとても……何と申しますかという質問。 石油がこの地で出るという想定は聞いていない」と戸惑いをみせ、県幹部も「初めて聞く話」と答えた。 県水の件は、上流で軽油流出事故があったことが後日判明した。 ただ、知られていなくても、原油由来の可能性がある出土物が実際に利用されていた歴史がある。 白山市の臨海部・倉部町。 海風を受けながら走るサイクリング道路が整備されている。 その海浜が、かつての「産地」だ。 江戸時代の記録では元文年間(1736~41年)から浜辺の「燃える土」の利用が始まった。 1994年刊行の「倉部史誌」は昔話として、イワシの肥料化のための釜ゆでの燃料に使われたとする。 史料によると、燃える土は「粘り気」があったとされ、石炭の可能性は低い。 泥炭など他にも乾燥させれば燃える出土物はあるが、記録された色や臭いは、湧出(ゆうしゅつ)した原油が粘土化した「天然アスファルト」と同様だ。 秋田県や新潟県では出土が知られている。 ただ、倉部町での利用は一部住民にとどまったらしい。 春めいた日が差した3月7日、倉部町を歩き、出会う人に次々聞いた。 「セキユ? ここで? 聞いたことない」。 そんな声がほとんどの中、この地に生まれ育った吉本一芳さん(82)が記憶をたぐり寄せてくれた。 「波が荒れた次の日は、砂が流された跡にねずみ色というか黒っぽい地層が現れた」。 ただ、両親や祖父母らから「燃える」とは聞いていないという。 蹴ったら崩れることもあり、「馬ふん」と呼ばれた。 昭和30年代以降、護岸工事や消波ブロック設置で砂の移動が抑えられ、黒い粘土層を見ることはなくなった。 ただ、海底には今もあり、漁網を傷める“厄介者”扱いされているという。 「今の砂浜の何メートル下かな。 掘れば出てくるさ。 あれが燃えるのか……」と、吉本さんは懐かしげに語る。 取材した地元の小、中学校の関係者は驚きつつも、「郷土史の話題として子供たちに伝えたい」と、ふるさとの知られざる一面に興味を示していた。 ◇倉部の史料 「墳土」をいろりの燃料に 石川県白山市倉部町の「燃える土」については、博識で知られた加賀藩士、津田鳳卿(ほうけい)が1841年の紀行文「椋部(くらべ)考古游(ゆう)記」の中で伝えている。 海浜の砂の中に粘り気のある「墳土(ふんど)」があり、住民が木炭代わりに爐(いろり)の燃料にしていた。 石炭に類する物、と記す。 県史編さんの礎を築いた歴史家、森田平次も明治時代末にまとめた「加賀志徴」で、津田の指摘を踏まえ、新潟県の「臭水(くそうず、石油)」などと同類と推定。 同市内の石立町でも出土するとしている。 (以下ソース) 3/19(木) 7:15配信 日本でも石油がとれる? 江戸時代から伝わる「産地」を訪ねた(毎日新聞) - Yahoo!ニュース 日本の石油輸入の生命線となる中東・ホルムズ海峡の「事実上の封鎖」で、ガソリン価格が高騰するなど日々の生活に影響が出始めている。「石油確保」は、近現代の日本では長らく国家的な懸案で、それを巡って戦争Yahoo!ニュース…