
1: 七波羅探題 ★ 2026/03/15(日) 15:45:55 ID:UgQJv+9/9 読売新聞2026/03/15 13:00 知床に魅せられて移住した北海道斜里町の女性医師が昨年末、58歳で亡くなった。 約10年にわたってがんと闘いながら、同町や網走市など1市6町の地域唯一の呼吸器内科の専門医を務めた。 亡くなる9日前まで診察を続け、地域の医療を支えようと患者と向き合った。 (平井翔子) 結婚機に斜里町へ 網走厚生病院(網走市)の医師だった鈴木夕子さんは大阪府出身。 奈良県立医科大を卒業し、大阪厚生年金病院(現JCHO大阪病院、大阪市)に勤務していた2008年、医師不足に悩む道内の病院へ応援に赴いた。 初めて知床を訪れ、憧れだった流氷ダイビングに挑戦。 ダイビングインストラクターで漁師の英樹さん(56)と出会い、3年の遠距離恋愛を経て、11年、結婚を機に斜里町へ移り住んだ。 移住から5年が過ぎた16年秋、体調が優れず、CT検査をすると大腸がんの影が映った。 頭が真っ白になり、診察室で一人、天を仰いだ。 手術や抗がん剤治療を重ねたが再発を繰り返し、肺や腹膜にも転移した。 〈負けない あきらめない 大丈夫〉。 日々の暮らしをつづっていたブログの結びには、必ずこの言葉を記すようになった。 自分だけではなく、同じように病と向き合っている誰かを励ますためだった。 入院中に、音楽グループ「クレイジーケンバンド」のアルバムを友人から贈られ、〈だから元気出してこうぜ〉と歌う一曲「生きる。」が励みになった。 退院するとライブに足を運び、バンドメンバーに「斜里町公演」を直談判した。 願いは23年に実現し、地元公演の実行委員長を務めて運営を取り仕切った。 好きなことや希望は、生きる力になった。 心にも寄り添う ある時、診てもらった医師から「治療は延命に過ぎない」と告げられたことがあった。 愕然(がくぜん)としたが、「自分は病だけでなく、心にも寄り添う医師でいよう」と改めて誓った。 診察では笑顔を絶やさず、「病気を生活の中心に考えないで。 趣味や家族、仕事の次くらいでいいの」と患者に伝えた。 「先生に会うと元気をもらえる」と言われるのがうれしかった。 網走厚生病院の看護師、藤田美智子さんは、鈴木さんが看護師たちから「まずはご自身の体を大切に」と声をかけられていたことを思い出す。 鈴木さんは「患者さんにとって主治医は私しかいないから」と、車いす姿で診察に向かった。 約100キロ先から通う患者もおり、「地方でも医療の質に差があってはならない」との思いが原動力だった。 「妻は私の誇り」 入院していた昨年12月21日、英樹さんは病室で後ろから鈴木さんをそっと抱きしめ、「きれいだよ」と伝えた。 妻は「ありがとう、ありがとう」とほほ笑んだ。 それが最後の会話になった。 同29日に斜里町で営まれた通夜には、患者や医療関係者ら約250人が参列し、クレイジーケンバンドのメンバーや全国の友人から供花が届けられた。 見送りの際、流れたのは「生きる。」だった。 「情熱と愛情で地域医療や人々を支えることに生涯をささげた妻は、私の誇り」と英樹さんは語る。 最期まで諦めなかった姿が、病と闘う人たちの希望になることを願っている。…