1: 樽悶 ★ xupxbnqt9 2026-02-21 13:51:49 箸墓古墳前方部周辺の発掘で確認された「渡り土堤」(右奥)=19日、奈良県桜井市 奈良県桜井市教育委員会は19日、邪馬台国の女王卑弥呼の墓説もある箸墓(はしはか)古墳の前方部の内濠に、築造時のものとみられる「渡り土堤」が発掘で見つかったと発表した。 墳丘と、その周囲を囲う堤をつなぐものといい、市教委は「人が通る通路や、内濠に水をためるせきの役割だった」と説明。箸墓は最古級の巨大前方後円墳とされ、実態を知る手がかりとして注目を集めそうだ。 市纒向(まきむく)学研究センターの寺沢薫所長は「古代中国の神仙思想に基づき、古墳の周りを水で囲むことで海に浮かぶ島に見立てたり、周囲から隔絶させて被葬者の権威を示したりしたのではないか」とした。 市教委は1998年度の調査で後円部にも渡り土堤を確認しており、2カ所目となる。今年1月から始めた調査で見つかった土堤の長さは約6.4メートル。出土した土器の年代から、築造当初のものとした。 市教委によると渡り土堤はこれまで、宮内庁が景行天皇陵とする渋谷向山古墳(奈良県天理市)などでも見つかっている。98年度調査で見つかったものは下側の幅約4.8メートルで両脇が石で覆われていたが、今回は石が確認されなかった。 これまでの調査などから、箸墓古墳は内濠と外濠の間に内堤がある構造だったと想定されており、今回見つかった土堤は内堤と墳丘をつないでいたとみられる。(以下ソース) 2026年2月19日 20:35 最初の巨大前方後円墳で邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀後半、全長約280メートル)で、周濠(しゅうごう)を横断する新たな「渡り堤」の一部が出土した。19日、桜井市教育委員会が発表した。1998年に別の渡り堤が見つかっており、今回で2例目。後の時代の巨大古墳にも複数の渡り堤が確認されており、最初期の箸墓古墳がルーツになったことが裏付けられた形だ。 周辺の土地開発に伴い、市教委が今年1月から、前方部南側の約60平方メートルを発掘調査した。確認された渡り堤の一部は幅2メートル、長さ6・4メートル。周濠跡の底からの高さは1・6メートルだった。周辺で出土した土器などから、造られたのは古墳築造当初で、調査地の北側で墳丘と接続していたと推測される。 1例目の渡り堤は東に約150メートル離れた後円部にあり、斜面に葺(ふ)き石が敷き詰められていたが、今回の渡り堤に葺き石は確認されなかった。 箸墓古墳は傾斜地にあり、後円部側と前方部側の高低差は約6メートル。渡り堤には通路としての役割があると考えられてきたが、市教委は「周濠を区画して水をまんべんなくためる堰(せき)の役割もあったと想定される」とする。後の時代の巨大前方後円墳、渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳(4世紀中頃、奈良県天理市)などにも複数の渡り堤がある。 箸墓古墳に詳しい桜井市纒向(まきむく)学研究センターの寺沢薫所長は「傾斜地の巨大古墳の周濠にも水をためていたのは、古墳が古代中国の神仙思想に基づいて造られ、仙人が住むとされた海に浮かぶ蓬莱(ほうらい)山を模していたからだろう」と話している。(以下ソース) 2/20(金) 12:02配信 ★1:2026/02/19(木) 23:55:53.92…