
プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る (宝島SUGOI文庫)川田 利明(「麺ジャラスK」店主/プロレスラー)宝島社2024-05-07開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える 「してはいけない」逆説ビジネス学川田 利明ワニブックス2019-12-101: 以下、名無しで筋肉速報がお送りします 2026/02/07(土) 14:14:06.56 ID:umGKl3Ye9 川田利明が明かす…盟友・三沢光晴との30年以上にわたる“命がけのケンカ”の凄まじい【ガチさ加減】 2/5(木) 12:00 「プロレスとは、そもそも不穏な空気をまとうものであり、すべてが『ケンカマッチ』である」。そう語るのは、90年代の全日本プロレスで四天王として君臨し、現在は飲食店「麺ジャラスK」を営む川田利明氏。 そんな川田氏が振り返る、高校時代からの先輩であり数々のケンカマッチを繰り広げてきた故・三沢光晴氏とのガチ〇コすぎる因縁とは――。同氏の共著『証言 プロレス界ケンカマッチの真実』から、一部を抜粋・編集してお届けします。 ■プロレスとは、そもそも「不穏な空気」をまとうもの プロレスはすべて「ケンカマッチ」──“デンジャラスK”川田利明は、プロレスは技と力、そして感情のぶつかり合いであり、そもそも不穏な空気をまとうものだと定義する。 「ケンカマッチって、プロレス自体がそうじゃん。俺は感情的になることが試合では普通だと思っているからね。『ムカーッ』と思った場面はないのかって? ずっと『ムカーッ』としているのが試合じゃないの?」 かくいう川田の生涯にわたるケンカ相手は、足利工業大学附属高校(現・足利大学附属高校)の1学年上の先輩・三沢光晴だった。川田vs三沢は常にデンジャラスであるからこそ、全日本プロレスの1990年代の黄金カードとなり、98年5・1、全日本が初進出した東京ドーム大会でメインを飾った。 三沢との三冠戦は通算8試合で川田が2勝6敗。8試合はいずれも川田が挑戦者の立場であり、王者として三沢を迎え撃ったことはない。 ノアの2005年7・18東京ドーム大会を最後に、シングルマッチは通算20試合で3勝12敗5分け。三沢が圧倒的優位に立っているが、感情を顔に出さないはずの三沢が、川田に対してだけは違っていた。 「俺に対してだけ、何か特別な感情をむき出しにしてくるから、そう(ケンカマッチのように)なるのだと思うよ。三沢さんは小橋(建太)とベストバウトと言われるような試合を何度もしているけれど、感情を出してはいないじゃない? 小橋以外でも、他の選手との試合では感情をあらわにしている姿は全然見たことがなかったし、そう感じたこともなかったね。あとから試合の映像を観ると、やっぱり俺の試合の時だけ顔に出ている。他の選手との試合とは顔が違うよ。ムキになっている感じはしたから。 年齢は1歳しか変わらないけれど、俺は高校からずっとつながっている後輩だから、後輩には負けたくないという気持ちが三沢さんは強かったんじゃないかな。 俺からすると、試合では三沢さん以上の感情を出していかなければ、という思いのほうが強かったね。だから、俺の感情も三沢さんとの試合にはとくに出ていたと思うよ。 三沢さんとは本当にたくさん試合をしたから、どの試合で何をしたのかはわからない。どれがどれだかも全然覚えてないしさ。日本テレビさんから以前、三沢さんとのベストバウトについて取材を受けた時も、『考えてみますが、選べないです』としか言えなかったんだよ」 ■30年以上にわたる三沢との「長いケンカ」の原点 30年以上にわたる長い長い“ケンカ”は、高校時代、川田が1年生として寮に入った瞬間から導火線に火がついた。 「俺が高校に入学した時は、1学年上の先輩たちが栃木国体の強化選手として集められて、人数がそれなりにいた。三沢さんの代に7人くらいはいたかな。でも、俺の代は自宅生はいたけれど、寮生は俺1人だったから、寮の雑用がものすごく多かった。 高校時代のレスリング部は、今ならどんな言葉で表現すればいいのかな……“アタオカ”の集団みたいな感じだったんだよね。普段からイジメみたいなこともあったし、何かあるとすぐ『正座』。 ただ単に正座するのではなく、1時間2時間もさせられる。そのうえ、殴られるし。仏教の高校だったから、座禅の時に肩をピタンと叩く『警策』や、昔の軍隊教育の名残なのか、『精神注入棒』という丸太みたいに太い棒もあって、それでぶん殴られたこともあったね。 殴られるうえに、とにかく忙しいんだよ。練習が終わってから食材の買い出しに行って、帰ってからすぐ料理。先輩たちの食事が終わったら片づけをして、みんなの洗濯をして……もう本当に地獄だった。 プロレスの世界に入ったら、その地獄が少しは和らぐのかと思ったけれど、全日本でも俺の代が1人しかいなくなったから、結局は地獄の繰り返しだった」 東洋経済オンライン…