
1: 名無しさん 2026/01/17(土) 20:38:46.72 ID:cjU0Kw1o9 【東京六大学野球 次の100年へ】「学生野球の父」の飛田穂洲、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄、阪神を日本一に導いた名将・岡田彰布も、1925年(大14)に始まった東京六大学野球を彩った。2025年に創設100周年を迎えた日本最古の大学野球リーグを支える人々を紹介するインタビュー連載「東京六大学野球 次の100年へ」。第9回は文武両道を貫く東大野球部の堂埜智咲紀主務(3年)に「マネジャー論」を聞いた。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平) ――チーム運営を統率する主務として大学ラストイヤーがスタートした。 「11月に新チームが発足してからここまで凄く早かった。きっと、引退まであっという間なんだろうなと感じています」 ――マネジャーと、11月から就任した主務の違いは。 「六大学の他の大学さんもやっているところは多いと思いますが、東大は主務がオープン戦を組んだり、スケジュールを管理したりしています。主将、副将や学生コーチと話す機会が増え、ダイレクトに部を動かしている感覚がありますね。私たち事務方と選手たちが求めることは時には食い違うこともありますので、コミュニケーショを大切にしていきたいです」 ――チームの舵取り役を担う主務。心身ともに負担も大きいが、なぜ主務を希望した。 「自分が女子だからといったことは全然考えませんでしたし、そのことで遠慮することもありませんでした。単純に一番責任ある立場でチームを引っ張りたかった。組織をまとめて強くすることができる立場なので主務になりたいと思いました」 ――高校時代は進学校の湘南でマネジャーを務めた。 「湘南は進学校と言われることが多いですが、補習や小テストがたくさんある学校ではなく、個人に任される部分が多かった。私も含めて野球部のみんなは“テスト前に頑張ろう”という感じで部活に励んでいました。元々、野球部のマネジャーをやりたくて湘南に入ったんです。宮台(康平=元日本ハムなど)さんが湘南で神奈川の強豪私立相手に戦っている姿が本当にかっこよかった。それで“湘南に入ってマネジャーをしたいな”って思ったんです」 ――湘南のマネジャー経験を通して得られたものは。 「体力的にキツいところもあったんですけど忍耐力が磨かれました。あとは“考えているだけじゃダメ。やって気づくことがある”なと。湘南生も東大生もまず考えることから入る人が多いと感じています。でも(湘南野球部の)先生からは“とにかくやれ!”と言われていました。とにかくやった先に気づけることもあると学べた高校時代でした」 ――湘南生がたけている思考力にマネジャー経験を通して行動力が加わった。高校卒業後は1年の浪人期間を経て、東大に入学した。 「現役の時は東大だけを受験して浪人しました。湘南では毎年、東京六大学野球を見に行く機会があったのですが、“ここ(神宮)で野球ができるのは凄い”と憧れました。高校野球でずっと私立を倒したいという思いを持ってきた。やっぱり大学でも(国立の)東大でリーグ戦に勝ちたいという思いが芽生えてきました」 ――見事に合格した東大は多くの湘南の先輩が活躍してきた。 「大久保裕監督、西山明彦先輩理事ら大先輩がたくさんいらっしゃいます。先輩たちが大活躍していることはもちろん知っていました。合格した時は後輩になることができてうれしかったですね」 ――高校と大学ではマネジャーの役割が大きく違う。それぞれをどう感じている。 「まず組織の大きさが違いますね。高校の時は部員数が40弱くらいで、監督の声が全体に通りやすく、組織としてまとまりやすかった。マネジャーは練習をサポートし、そこで選手とコミュニケーションを取ることが大事で、監督と選手をつなげられたらいいなと思って活動していました。一方、大学は選手が高校生に比べて一人一人が自立して自分で考え、(各自の授業に合わせた)自主練習の時間も多い。選手の個性をまとめていくことは難しいですし、マネジャーは部としてブレてはいけない部分を支えることも責務の1つになります」 ――大学のマネジャーは意思決定する機会も多い。 「1カ月後くらいに始まる合宿先を決めたり、どのチームとオープン戦を行うか決めたりするので自分たちがしっかりしないと充実した時間にはならない。チーム内ではいろいろな意見が挙がってきます。その状況に応じた判断力、思考の柔軟性が問われます。自分の意見を持ちつつ、臨機応変に周囲の意見を取り入れることに気をつけています」 ※以下出典先で…