1: 匿名 2026/01/14(水) 10:49:48 「自宅には一流ホテル出身のコックが…」 “共産党のプリンス”不破哲三氏の生活ぶり 「趣味の人形が1000体置いてある建物があった」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 指導部から退き「名誉役員」となって2年。長らく日本共産党のトップに君臨し、党をけん引してきた不破哲三前議長が昨年12月30日、95歳で亡くなった。戦後を代表する共産主義者の素顔を振り返る。 *Yahoo!ニュース 指導部から退き「名誉役員」となって2年。 長らく日本共産党のトップに君臨し、党をけん引してきた不破哲三前議長が昨年12月30日、95歳で亡くなった。 戦後を代表する共産主義者の素顔を振り返る。 ■「理論で勝てる人はいない」 後に“共産党のプリンス”と呼ばれる不破氏が入党したのは、戦後間もない1947年のことだった。 「東大在学中に学生細胞となり、卒業後は鉄鋼労連の本部書記としてキャリアをスタートさせた。 69年に衆院選に出馬して初当選し、以後連続11期、34年間にわたって代議士を務めました」(政治部デスク) また、戦前から非転向を貫いた“中興の祖”宮本顕治に引き立てられて、 「70年には40歳にして党中央委員会書記局長に抜てきされました。 その後は宮本の後を追うように委員長、議長を歴任。 党内きっての理論派として鳴らしつつ、天皇制と自衛隊の存在を容認する“ソフト化路線”を打ち出すなど、柔軟に党を運営してきました」(同) 元共産党政策委員長の筆坂秀世氏が語る。 「マルクス、エンゲルス、レーニンといった思想家や革命家たちの本を党内で最もよく読み、精通していました。 彼に理論で勝てる人はまずいなかった。 学習会や講演では、“科学の目”で物事を正しく見ることの大切さを繰り返し強調していました」…