1: チオスリックス(秋田県) [US] O3HDNjjK0● BE:194767121-PLT(13001) 2025-12-16 15:49:19 sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif 戦後80年「つなぐ、つながる」です。終戦間際に東京の郊外で撃墜されたB29搭乗員の虐待には一般市民も加わっていました。 負の歴史を記録し、伝えていくことの意味とは。 記者 「1945年8月8日、アメリカ軍のB29が撃墜され、脱出できた搭乗員2人のうち1人が、パラシュートでだいたいこのあたりに降りてきました。 その様子を近くの少女が見ていました」 降下する米兵を見た 澤保子さん(89) 「怖かった。『鬼畜米英』と言われて育っていたので。『あ、鬼さんが落ちてくる』」 2人を捕虜にした憲兵隊は翌日、そのうちの1人、モロン軍曹を立川市内の学校の校庭でバスケットゴールの柱に縛り付け、 詰めかけた群衆の中から希望者に一回ずつ竹の棒で叩かせました。 戦後、GHQの調べに対し、当時の憲兵隊員が上司の言葉を供述しています。 憲兵分隊長 「本土決戦も間近に迫っている。国民の士気高揚のためにもやらなきゃいかん」 2時間に及ぶ暴行のあと、モロン軍曹は近くの墓地で、将校に首を斬り落とされました。 実際に叩いた人の証言が残っています。 故・狩野義男さん(当時 小学6年生)[2016年撮影] 「俺が行ったときには、もう皮がべろーんとむけていた」 当時小学6年生。罪の意識はありませんでした。 故・狩野義男さん[2016年撮影] 「“ざまあみろ”って(気持ち)。むしろ優越感、感じちゃうんじゃないの。戦争ってのはね、人間変えちゃうんだよね」 動画を撮影したのは、地元の戦争証言を集める楢崎茂彌さんです。 事件の背景には空襲被害もあったとみられます。1945年4月には立川に爆弾が落ち、42人が死亡。 地元の戦争証言を集める 楢崎茂彌さん 「(犠牲者は)主に、子供と女性と老人」 事件の1週間前には、近くの八王子も焼け野原にされていました。…