
転載元: 冬月記者 ★ 2025/12/18(木) 23:52:20.95 ID:NPNomQlJ9 「テレビの終焉です」WBC地上波放送が消えた“本当の意味”…Netflixと日本の放送、比較にならない“金額差”「WBCは稼げるイベントに変化した」 MLBは、WBCという国際大会が創設された当初から、拝金主義的なビジネスをやろうとしていたわけではない。野球を世界的に普及したいという、確固たるビジョンを持ってスタートしたプロジェクトだった。 その構想がいつ、どこで始まったのか。コウタ氏は2000年春、読売新聞社の上司とともにニューヨークのMLBオフィスを訪ねたときに初めて聞いたと回想している。 「野球を普及させる」WBCの創設意図 その年のシドニー五輪から、国際オリンピック委員会(IOC)が野球競技でのプロ参加を認めることが決まり、MLBに選手の出場を要請した。 だがMLB側はマイナーに所属する選手の出場は認めたもののメジャーリーガーの出場を断固として拒み、IOC側も「ベストの選手を派遣しないのであれば、野球を五輪の競技種目から除外する」と応じたため、両者が険悪な状況に陥った。 そこで持ち上がったのが、MLBが主導で行う国際大会だ。 「それまで1年おきに日米野球をやってきて、2000年にはメッツとカブスで初めてMLBの日本開幕戦を開催し、当時の両チームに日本人選手はいなかったけれど、それでも成功したということがありました。それで、韓国や台湾でもMLBを普及させたいという話が出た。当時はMLBコミッショナーが前のバド・セリグさんの時代でしたが、現コミッショナーのロブ・マンフレッドさんもミーティングに参加していました」 コウタ氏はそう振り返る。 世界に我々の野球を広めるのだという目標に向かって動き出したMLBは、2006年にWBCの第1回大会開催にこぎつけた。それと並行し、野球の普及が遅れているヨーロッパやアジアの国などにアンバサダーとして選手やOBを派遣して野球教室を開催したり、野球用具を寄付したりと精力的に普及活動を行った。 例えば2004年からタイガースやヤンキースなどメジャーで16年間プレーしたカーティス・グランダーソン元外野手はアンバサダーとして、2006年に英国、オランダ、イタリア、2007年に南アフリカを訪れ、2008年には北京と上海でメジャーの選手としては初めて中国で野球教室を行い、2010年にはニュージーランド、2012年には日本、韓国と、オフシーズンになるたびに世界を飛び回った。 稼げるイベントに進化…過去最高収益に そうした活動と並行して、WBCの価値を高めていく。いずれも、野球普及という目的は明確だった。 「ただ、それと同時に、MLBはWBCをどんどんビジネス化していったというか、非常に稼げるイベントという認識に変わっていった。その極めつきが、2023年の前回大会でした」 コウタ氏はそう指摘する。 侍ジャパンが決勝で米国を倒し、最後に抑えとして登板した大谷が当時のエンゼルス同僚マイク・トラウトを三振に切って取り優勝を決めた瞬間は、歴史に残る名勝負と称賛され、大きな話題を呼んだ。 MLBの発表によると、大会の収益は日本、米国、台湾開催のすべての試合を含め9000万~1億ドル(現在のレートで約140~155億円)の大会史上最高額になったと報じられており、観客動員はこれまでの最高だった2017年大会から20%増で史上最多を更新する130万6414人を記録。 グッズ販売、スポンサー契約の収益も軒並み大会史上最高を更新し、すべてにおいて想像をはるかに上回る大成功といわれた。 続きはリンク先…