287 :名無しさん@おーぷん 2016/11/10(木) 22:31:39 ID:geO 小学生の時に両親が離婚いったん母親に引き取られたがすぐに母方祖母に預けられ仕事を見つけたら迎えにくると言われたものの、母からの音信は間もなく途絶えた以来私を育ててくれた祖母は祖父の後妻で母と血の繋がりはなかったが「これからは女も仕事を持って自立して生きられなくては」と常々私に言って聞かせパートを掛け持ちして学費を工面し私を大学まで上げてくれたしかし大学3年の時にその祖母が急タヒあまりに突然のことで、県外の大学に通っていた私はタヒに目にあうことすらできなかった悲しいを通り越して茫然自失のなか、親身になってくれた近所の人たちと葬儀社さんのおかげで何とか一連の葬儀を終えたそれだけでも人生最大といっていい修羅場だったがそのあとがまた大変だった私は当時、学生寮に住んでおり祖母が暮らしていたアパートは引き払うしかない二人部屋(6畳間)に持っていける家財はほとんどなく残る家財も処分するしかない相続、というほどのものはないにしても預貯金の名義変更など諸々の手続きも必要大学は長く休めないし、アパートの立ち退きが遅れればそのぶん家賃も増える頼れる親戚もおらず、悲しみに浸る間もなくひたすら奔走したそしてそれらが一段落したころ、さらに驚くことがあった当時、私は経済的に厳しい学生を対象にした授業料免除を受けていたのだがその対象から外されてしまった成績が落ちた訳ではなく、祖母のタヒに伴う私の環境の変化が原因だったアパートを引き払った私は唯一の住所が寮になったためこれまで自宅外から通っていることになっていたのが、自宅通学の区分に入ってしまったさらに祖母の保険金やらが所得とみなされたことで自宅通学生の授業料免除ラインを越えてしまったようだった頼るもののない当時の自分にとって祖母の残したお金はまさに生命線生活費のためのバイトを増やしたがちょうど学業も多忙になる頃でバイトにも限界があり卒業まで持ちこたえられるか覚束なかった幸い次の年からは再び免除が受けられたが通帳の残額とにらめっこしていたあの頃の不安な気持ちは忘れられない 288 :名無しさん@おーぷん 2016/11/11(金) 00:52:49 ID:Fp1 >>287壮絶な前半生でしたね読んでるこちらもハラハラしました実の両親との縁はなかったが、血のつながらぬ祖母さまに出会えてよかったきっと、今も見守ってくださってると思う幸せになってね 289 :名無しさん@おーぷん 2016/11/11(金) 03:23:53 ID:nYA >>287それでも卒業したんだかっこいいよ、尊敬するわ 290 :名無しさん@おーぷん 2016/11/11(金) 09:07:45 ID:SKL >>287こんだけ経済的に逼迫してる子がいるのに、学費免除の制度って親族を失った子にまだまだ冷酷なんだな卒業出来て良かったね 291 :名無しさん@おーぷん 2016/11/11(金) 12:13:29 ID:aD6 >>290お役所仕事は数字しか見てないんだろうな 292 :名無しさん@おーぷん 2016/11/11(金) 12:24:41 ID:Fp1 根拠の規約みたいなものに則って粛々とやらなきゃいけない面があるから、大学側も苦しかったかもよ翌年復活したのが、証明だ知人が障害者年金を切られて役所に駆け込んだら「収入が上限超えたので」と気の毒そうに説明されたそうな「再発して、昨日退職したばかりなんです」と訴えたら、すごく同情されたそうだけれど、一年後の再申請まで待たねばならなかった公的機関が法律等を歪めて情状酌量する社会は、コネ・賄賂などの横行する汚い社会一直線じゃなかろうかこのケースは、本当に気の毒だけれど(´;ω;`) 引用元:…