1 名前:ぐれ ★:2025/10/12(日) 06:26:38.40 ID:huAu9ivf9.net ※2025/10/12 05:00 読売新聞 [衝撃 連立解消]<上> 四半世紀に及ぶ自民、公明両党の連立の歴史に終止符が打たれることになった。決裂の背景を検証し、混迷する政治情勢の行方を探る。 ◇ 「今日は、公明党の地方組織の声を聞く場だと思って来ました」 10日の自公党首会談。自民の高市総裁は公明の斉藤代表と向き合うと、こう切り出した。公明が連立継続の条件として提示していた企業・団体献金の規制強化案への回答をもらう会談と位置づけていた斉藤氏は戸惑いを隠せなかった。 党内議論を経て、一任を取り付けていた斉藤氏は「回答してもらえないと帰れない。『一切妥協するな』とも言われている」と迫ったが、高市氏は党内での検討時間を確保したいとして協議継続を繰り返し求めた。「私が決めて帰ったら独裁だ」とも訴えた。政治資金に関する規制強化を含む与野党の政治改革議論を「担当でなかったから、よく知らない」と打ち明け、代替案を示すことはなかった。 会談後、高市氏は動揺を隠せず、記者団に「一方的に離脱を伝えられた」と強調した。高市氏は4日に総裁に選出され、執行部を決定したのは7日だ。高市氏の保守的な政治信条に対する警戒を強めていた公明はこの間、離脱に傾斜していったが、高市氏側が対応策を練る時間は限られていた。 自公に自由党を加えた自自公連立政権が誕生したのは1999年10月だった。自公の連立は、政治の安定を実現するために先達が築き上げ、維持に心血を注いできたものだ。 自民は98年7月の参院選で大敗した。参院で過半数割れが続くなか、小渕内閣の官房長官だった野中広務氏が公明との連立が必要と判断し、協議を主導した。野中氏はまず敵対していた小沢一郎氏が率いる自由党を引き込んで、99年1月に自自連立政権を発足させ、その後の自自公連立政権につなげた。 長期政権となった2012年からの安倍内閣では、官房長官だった菅義偉・元首相が主に公明と支持母体の創価学会とのパイプ役を担った。 今月7日の執行部人事で高市氏は、菅氏を副総裁から外し、対公明強硬派の麻生太郎・元首相を充てた。党首会談を翌日に控えた9日になって、高市氏は菅氏に協力を求めたが、公明と創価学会の幹部内では方向性が固まりつつあり、菅氏が動ける余地はほとんどなかった。離脱決定を聞いた菅氏は周囲に「なんでこんなことになったのか」と悔やんだ。 高市氏が首相に指名されても、自民単独の少数与党では不安定な政権となる公算が大きい。総裁選で高市氏は「(自公以外の党に)最初の組閣から加わってもらう」と強気だったが、状況は一変した。公明の離脱表明を受け、国民民主党は自民との連立協議にいっそう慎重となったためだ。 続きは↓ 引用元:…