1 名前:七波羅探題 ★:2025/03/01(土) 07:58:15.26 ID:gcNDeF7h9.net 陰謀論や反ワクチン論を唱える人々は、なぜどんどん頑なな態度になっていくのでしょうか? 分断や差別的な偏見を招いたり、孤立を深めることにもつながる「確証バイアス」は、社会的にも悪影響が大きいといいます。 3/1 ■自説を否定する事例には目を向けようとしない 仮説の裏づけになる証拠が得られることを「確証」という。「あの店の料理はいつもおいしい」という仮説は、次に足を運んだときに注文したカレーがおいしければ、確証されたことになる。この確証に関わる認知バイアスが「確証バイアス」である。自分の信じている仮説や主張を支持するような事例には目を向ける一方で、その否定につながるものには目を向けようとしない傾向のことだ。この確証バイアスがしばしば怪しげな思考と結びつく。 たとえば「2001年に米国で起こった9・11同時多発テロは、米政府による秘密裏の内部犯行だった」という陰謀論を信じ込んでいる人はどうだろう? そういう人は、テロで倒壊した世界貿易センタービルについて「あれは政府があらかじめ爆弾を仕掛けていたからだ」とする因果的説明もたいていセットで信じており「世界貿易センタービルの倒壊は、飛行機の衝突だけで十分に説明がつく」と専門家がいくら主張しても、まったく聞く耳をもたない。むしろ専門家がそう主張すること自体が、真相を隠そうとする政府の陰謀の一部だ、と考えたりするほどだ。だが、その一方で自らの信じる陰謀論にマッチしそうな事柄なら、どんなに些末なことでも喜んで証拠として受け入れる……。 この例では、確証バイアスによって自分の信じたい仮説に囚われて、せっかく専門家が提供してくれている因果的説明をまともに受けとることができなくなっている。確証バイアスが因果関係についての思考を歪めてしまっているのだ。そうしたケースとして社会的にも大きな悪影響を及ぼしかねないのが、反ワクチン論である。 反ワクチン論では、ワクチンの有効性や安全性を裏づける証拠は、軽く見られがちである。その一方で、ワクチン接種後の病気の発症や死亡の事例は、ワクチンが引き起こしたものとして過大に重視される。また、そうした事例がたとえ別の仮説で説明できても見向きもされない。ここには確証バイアスの働きが見られる。そして、社会の中で反ワクチン論が勢力を広げてくると、せっかく感染症に対する公的な政策が講じられていても、ワクチン接種を忌避する人々の増加を招き、感染症の流行に歯止めがかからなくなってしまうことが懸念されるのである。 この認知バイアスは、科学的思考を身につけるうえで現実にはなかなか乗り越えがたいハードルのひとつだ。けれども、上に示した例からわかるように、「思考の公衆衛生」という発想からも、そして文字通りの公衆衛生の増進という意味でも、確証バイアスについて知っておくことの社会的な意義は非常に大きいのである。 認知バイアスにはたくさんの種類があるので、興味のある読者は他の入門書に当たってもらいたい。因果関係に関わるものを少し追加しておこう。 ・基本的帰属錯誤人の行動を説明するさいに、性格や素質などの内的な要因を過剰に重視し、環境や状況からの影響といった外的な要因を不当に軽視する。 〈例〉ある人物が、本当は家族が病気で面倒を見るために頻繁に会社を休まなくてはならない状況に置かれているのに、「あいつは欠勤してばかりだ。根が怠惰なんだろう」というように、もともとの性格に原因を誤って帰属させて評価を下す。 ・平均への回帰の見落としランダムに変動する現象は、たまたま平均から外れても、いずれ平均の近くに戻っていく(平均への回帰)。これに気づかないと、無関係な現象をその原因だとする間違った因果推論をしてしまいやすい。 〈例〉1年目に新人賞をとった優秀な選手が2年目からの成績はぱっとしない──これについては、「新人賞の呪い」のようなジンクスとして怪しい因果的説明がされてしまいがちだ。しかし、最初の年にたまたま実力以上の好成績を収めたけれども、次の年にはその選手の平均つまりもともとの実力に回帰した、というだけの話だったりする。 ・公正世界信念と内在的正義世界はわけへだてのない公正なものであり、人はそれに見合った賞罰を受ける。この考えを「公正世界信念」という。そこから、幸運にも不運にもしかるべき原因が存在する──たとえば病気は過去の悪行が引き起こしたものである──と見なしてしまう(こちらは「内在的正義」という)。 〈例〉平清盛が高熱に苦しんで死んだのを、強権的な独裁政治を行ったことの「罰が当たった」と捉えてしまう。実際にはマラリアだったといわれる。 こうした認知バイアスの影響をうまく緩和・排除する仕組みを発展させてきたことも科学という活動の強みとなっている。 引用元:…