1 名前:煮卵 ★:2025/02/22(土) 10:32:56.30 ID:uIu/K8CT9.net ◼初任給は8万5000円 1日16時間、365日働きづめの日々も (前略) 神奈川の山間にある、とある河川敷。年間の休祝日のほぼすべてをこの河原で過ごす48歳の小山仁さんは、自信の半生を「就職氷河期の最悪の世代。仕事の面では一度もいい思いをしたことのない人生だった」と振り返る。 「高校卒業後に調理師の専門学校に行って、20歳で箱根のリゾートホテルに就職したんですが、パワハラ暴力が当たり前の環境。配属初日に玉ねぎのむき方が違うと顔面をグーで殴られ、40人いた同期は1年で半分になりました。初任給は8万5000円。2年目には残業代込みで18万ぐらいになりましたが、バブル崩壊で業績悪化が止まらず、3年目には全手当一律カットでまた10万円を切るようになりました。すでに同僚だった嫁と結婚もしていたので、これでは生活していけないと退職を決意しました」 知り合いのつてでイタリアンレストランに移るも、オーナーの赤字経営によりわずか2年で倒産。「おいしい料理を提供できても、包丁一本では食っていけない。経営を学ばないと」と痛感し、23歳で居酒屋チェーンを展開する大手企業に入社した。料理人としての経験を買われ、本社で商品開発を任されるも、待っていたのはあまりにも壮絶なブラック労働の日々だったという。 「1日16時間労働で、休日は年に半休だけ。364.5日働きづめの日々でした。チェーン5業態の商品開発を自分1人で全部やってたんですよ。血尿がドバドバ出て、頭がおかしくなったやつや、過労死した同僚も3~4人いた。それでも子どもが生まれたことを励みに5年くらいは頑張ったんですが、あるとき上司に進捗を急かされて『今やってますから!』と言い返したらボコボコのリンチに遭って……。やり返してやろうかとも思いましたが、『いや、もうこのままスパっと辞めてしまおう』と」 今度は飲食事業も手掛けるIT系の会社に転職。新卒から4社目、28歳にしてようやくまともに休みが取れる環境に身を置いた。キャンプの魅力を知ったのもこの頃だという。 「もう何年もずっと休んでなかったので、急に休めと言われても何をすればいいのか分からなかった。50CCのスクーターで、あてもなく出かけた先でたどり着いたのがこの河原でした。ただ川が流れるのを見て感動して、そのままボーッと、テントも寝袋もないまま翌朝まで地面に寝転がっていた。心の底から癒やされる感覚があって、それからちょくちょく野営をするようになったんです」 その後も「給与18万円、昇給なし賞与なし」「17店舗で年間22人の店長が辞める飲食チェーン」「従業員15人で売上1500万円」など、劣悪な待遇の会社を転々とした。37歳のときには、若い頃の無茶がたたり大動脈解離で緊急搬送。幸い一命は取り留めたが、術後の10年生存率は40%とも言われる重病で、再発した際の命の保証はないという。 「渡り歩いたのは8社かな。自分が頑張って業績を上げても、ことごとくつぶれてしまった。人の気を狂わせる拷問で、穴を掘らせては埋めさせるっていうのがあるでしょう。僕の人生はずっとあれですよ。刑務所の方がマシな人生だったと思ってる」 生きづらさを抱えた人生の中で「唯一の救いだった」というキャンプ。その文化を後世に残していくため、小山さんは2018年、ソロキャンプの健全な普及を目指す任意団体「日本単独野営協会」を立ち上げ、清掃活動やキャンプマナーの周知を始めた。地道な活動ながらSNSを駆使した広報に賛同する仲間も増え、会員数は2万人を突破。メディアなどで取り上げられる機会も増えてきた。 「大動脈解離はたとえ助かっても長生きはできない病気。たぶん、長くてもあと10年ちょっとだと思っています。すでに子どもも成人しており、残りの人生のタイムリミットを意識する中で、自分が死んだ後にもキャンプ文化が存続できる仕組みを作るのが今の目標。ソロキャンプが好きだったので最初は1人で活動していましたが、自分の子や孫の代にもキャンプができる環境を残すためには人を集めるしかなかった。……涙が出ますね。熱い思いに共感してくれる仲間がこんなにいた」 就職氷河期のど真ん中で、どれだけ努力しようと報われることのなかった「最悪の人生」。限りある人生の答えを、小山さんは冷たい風の吹きすさぶ山間の河川敷で探し続けている。 [ENCOUNT] 2025/2/22(土) 10:20 ◼年間の休祝日のほぼすべてを野営地の河原で過ごすという小山さん【写真:ENCOUNT編集部】 引用元:…