転載元: 冬月記者 ★ 2025/02/07(金) 00:28:25.99 ID:6h+Ooj1p9 「不良漫画にハマり、中学時代からLARKを吸っていた」 中居正広氏、デビュー前夜のエピソードを元グループメンバーが明かす トラブルについて何の説明もなく、突然の引退表明――。後味の悪さだけを残した中居正広氏(52)だが、彼はいかにして国民的スターに上り詰めたのか。デビュー前夜のエピソードを紹介する。 神奈川県の南、いわゆる“湘南”エリアにあたる藤沢市。中居氏は、この街で3人兄弟の末っ子として生まれ育った。 近隣住民によれば、 「お父さんはバイトのような仕事をして稼いでいたようです。お母さんは、百貨店で働いていると聞きました。長男はパンチパーマでとっぽい感じ。次男は真面目な雰囲気でしたね。中居君は小奇麗で見た目もかわいく、三兄弟の中でも存在感がありました」 父が定職に就いていないこともあり、幼少期は貧困生活を送っていたと本人は語っている。食事ではおかずがない日も多く、そんな時は白飯に水をかけて食べる「水かけご飯」でしのいでいたというのは有名な話だ。 「“短ラン”を着るくらいで、本当に悪いことはしてなかった」 そんな陰鬱(いんうつ)な幼少期のエピソードとは裏腹に、近所では元気な野球少年で通っていた。 「小学生の頃は、よく家の前の道路でお父さんとキャッチボールをしていたんですよ。仲の良い親子でしたね」(前出の近隣住民) 野球に没頭していた中居氏だったが、小学校卒業を目前にして肘を故障し、野球を断念。中学校では、バスケットボール部へ入部することとなった。 当時の同級生によると、 「バスケの練習はあまりせず、放課後は自転車を乗り回して近所をぶらぶらしていました」 友人と本屋や貸しレコード屋、ショッピングセンターに行く毎日だったという。 「雑誌の『明星』や『平凡』を毎週欠かさず買って、学校に持って来ていたので、アイドルに憧れがあったんでしょうね。チェッカーズをよく聴いていて、藤井フミヤさんが好きだったようです。当時、不良漫画の『ビー・バップ・ハイスクール』がはやっていて、中居もハマっていました。でも、学生服を改造した“短ラン”を着るくらいで、本当に悪いことはしてなかったです」(同) 中学2年生になろうかという頃、中居氏の人生が一変する。 「隣の教室にいた仲の良い友達に誘われてジャニーズに応募したんです」(前出の当時の同級生) 見事、中居氏は事務所の選考に合格。“ジャニーズJr.”として、先輩グループのバックダンサーを務めるようになったのだった。 「大きなトンボメガネをかけたりして服装も派手になり、近所でも目立つ存在になっていきました」(前出の近隣住民) 中学3年生から高校1年生の時期にかけて、中居氏が所属していたダンスユニットグループ「スケートボーイズ」の元メンバーが当時を振り返る。 「中居はやんちゃな子で、まだ中学生でしたが、たばこを吸っていました。銘柄はLARKです。合宿所でも吸っていましたが、ジャニーさんも黙認でしたね。光GENJIの諸星和己さんを尊敬していて、ダンスをそっくりまねして踊っていましたよ」 中居氏はジャニー氏の眼鏡にかない、出番を増やしていったという。 「ダンスのレッスンを受けながら光GENJIの全国ツアーにも帯同していましたから、学校に行けないくらい忙しかったと思います」(同) その後、国民的アイドルグループSMAPが結成され、中居氏はリーダーとしてグループをけん引。スターへの階段を駆け上ったのである。…