転載元: ぐれ ★ 2025/01/30(木) 23:43:36.68 ID:pC7/On3p9 10時間超のロングラン会見にも出なかったフジテレビ相談役の日枝久氏の動向が注目される。その昔、「会社をよくしたい」との思いで、クーデターを決起した首謀者の1人が日枝氏。そのクーデターを援護射撃した『週刊文春』の当時の担当デスクだった木俣正剛氏が、日枝氏の変貌ぶりを辿る――。 ■フジサンケイのクーデターを後押しした文春 中居正広とフジテレビ問題が、あっというまにスポンサー離れにまで拡大し、フジテレビの崩壊が近づいたと私は予測しています。たかだか週刊誌の元編集長が「何を偉そうに」と思われるのを覚悟の上で、私とフジの古い関係から話を始めます。 1990年初頭まで、フジは鹿内家の三代続く絶対的な独裁でワンマン経営の弊害が目立つ状態になっていました。その弊害を打破するため、日枝久氏(当時・フジテレビ社長・現・取締役相談役)と羽佐間重彰産経新聞社長を中心にクーデター計画が練られました。その計画の一翼を担ったのが、週刊文春でした。 フジのクーデターグループは真剣に会社の将来と独裁の弊害を憂う集団であり、危険を冒して、社内の機密を我々に教え、文春のキャンペーンで三代目の独裁者鹿内宏明氏を追い詰めると、トドメのクーデターを起こす役員会前日には、都内の文春に近いホテルの一室にクーデター派の役員全員を集め、文春に、誰が集まっているかの報告まできていました。 そしてクーデターが終わった瞬間、そのやりとりのすべてが2日後に発売された文春に掲載されたのです。デジタル化していない時代の週刊誌には、信じがたいスピードと正確さで、新聞やテレビをも圧倒しました。記事を書いたのは島田真(現・文藝春秋取締役)でデスクは木俣というコンビは、実は、あのジャニーズ裁判と同じメンバーです。 このクーデターには、産経のOB司馬遼太郎氏も共感し、翌日に、産経新聞の幹部に、「おめでとう。産経もよくなりますね」というファクスを送り、続いて、「ほんとうによかったですね。ハザマ(羽佐間重彰)という人、めりはりのきいたいい記者会見をしています。『新聞の代表者として不適任』という表現は、決定的かつ総括的で、じつによかったですね」と書いてこられたのを、私も見せていただきました。 続きは↓ フジのクーデターを背後から支援した元週刊文春編集長が証言「独裁者を倒した日枝久氏が独裁者になるまで」 4: 名無しさん@恐縮です 2025/01/30(木) 23:44:40.50 ID:M2iHmHWk0 フジテレビのプーチン日枝…