1 名前:ばーど ★:2025/01/14(火) 18:24:25.26 ID:QxnktjU6.net 昨年末の戒厳令を機に、無政府状況に陥った韓国。内戦を回避できるのか。2年以上も前から「韓国の民主主義は崩壊した」と警告を発していた鈴置高史氏に混迷の本質を聞いた。 ■無政府状態に ※略 ■年金を使ってウォン買い支え ※略 ■国の自壊は文在寅時代から ※略 ■左派だって平気で指揮権発動 ※略 ■日本では「伝家の宝刀」なのに ――韓国人は寄ってたかって法治を壊している……。 鈴置:その通りです。そもそも韓国人の法治意識は薄い。1987年の民主化まで検察は政権の完全な手先で、大統領の気に入らない政治家らを手当たり次第に逮捕していました。だから検事総長に対しわざわざ正式に指揮権を発動する必要はなかった。 民主化以降、検察は政権からの独立を目指しました。田中角栄という大物政治家も起訴した日本の検察は、韓国の検察官のあこがれの的でした。 韓国の法曹関係者も「日本に指揮権は存在するが、発動するなら内閣を潰す覚悟がいる」――伝家の宝刀であることはよく知っています。韓国紙にも時々、1954年(昭和29年)に犬養健法務大臣が指揮権を発動した後、辞任した事件が紹介されます。 左派、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権当時の2005年、指揮権が発動されました。左派の学者を捜査する際に拘束しないよう法務部長官が指示したのです。検事総長はこれを受け入れましたが、抗議のために辞任しました。 「指揮権は安易に発動しない、との慣例が韓国でも生まれるのかな」と思ったものですが、誤った判断でした。左右対立が激しくなると、憲政の常道は簡単に踏みにじられたのです。 ■根付かなかった「憲政の常道」 ――踏みにじられたのが2020年。 鈴置:この年にはもうひとつ、民主主義の後退を示す事件が起きました。4月の総選挙で与党の左派「共に民主党」が国会で6割の議席を占めると、慣例を無視して委員長ポストを独占したのです。翌2021年7月に慣例が復活しましたが、自分に都合のいい法案を通した後のことでした。 いわゆる「軍事独裁政権」時代、国会は多数を占める与党のやりたい放題でした。委員長ポストを独占し、法案を思うままに通しました。1987年の民主化の後、日本の例も参考にして野党にもポストを分け、妥協の道を探りました。 重要な委員長ポストを握れば、少数野党もある程度の抵抗が可能です。ソウルに駐在していた私は「こうして憲政の常道というものが根付いていくのだな」と感心したのですが、そうはいきませんでした。 ――「憲政の常道」の破壊に対し、国民から批判は起きなかったのですか? 鈴置:起きませんでした。韓国人は「憲政の常道」の重要性、あるいはその存在にさえ気が付いていないのです。韓国人は対立した際、自分が正義と主張するに急で、どうやって妥協するかに考えが及びません。 捜査指揮権の自制にしろ、委員長ポストの分配にしろ、対立を和らげるための装置です。韓国ではこの安全装置が根付く前に左右対立が激化し自ら破壊してしまった。安全装置の貴重さは使っていくうちに分かるものですが、それを認識するには至らなかったのです。 ■あっという間にベネズエラ 韓国の民主主義が壊れて行く過程は『韓国民主政治の自壊』の第2章「あっという間にベネズエラ」で詳述しました。見出しに「ベネズエラ」を入れたのは、韓国の保守派から「左派独裁により、没落したベネズエラの轍を踏む」と悲鳴があがったからです。 中南米随一の豊かさと、平和な政権交代に象徴される民主主義を誇っていたベネズエラが、いつの間にか大量に難民を送り出す貧困国に落ちぶれました。戦争をしたわけではありません。 1999年に登場した左派のウゴ・チャベス政権が権力の独占を目指して司法とメディアを掌握し、反対勢力を徹底的に痛めつけました。その混乱の中で経済が低迷し、米国との関係も破綻したのです。 文在寅政権も保守政権時代の最高裁長官、官僚、軍人を相次ぎ逮捕するなど、敵対する政治勢力の根絶やしを図りました。国際社会の非難により最後はあきらめましたが、誤報を理由にメディアに懲罰的な罰金を科す法律も作りかけました。韓国は「アジアのベネズエラ」への道を歩みかけているのです。 注目すべきは保守の警告は「左派が政権を握ると国が潰れる」ことに留まり「法治破壊の危険性」に及ばなかった点です。「法治」の観点から左派を批判した人は私が調べた限り、1人だけでした。 ■チャベスが出てきた ※略 ■合意形成には手が届かず ※略 ■「日本よりも上だ」 ※略 全文はソース先で 新潮 2025年01月14日 引用元:…