1 名前:少考さん ★:2025/01/02(木) 17:42:05.49 ID:vRogUL4r9.net 〈収容所日記①〉:東京新聞デジタル 2025年1月2日 16時00分 〈追い詰められて 20歳女性の「東京入管収容所日記」〉① 大好きだった日本での8年間。最後に待っていたのは、収容所でのつらい日々だった。 東京出入国在留管理局(東京入管)に3カ月にわたって収容されたブラジル国籍のミサキ(20)=仮名=が、2024年11月8日に強制送還された。 支援者に託した日記には、厳しい収容所生活に追い詰められていく様子がつづられていた。日本への好感を打ち砕いた入管行政は、これで良かったのだろうか。(池尾伸一) ブラジルの施設で孤児として育ったミサキは、日系人夫婦の養子になり、12歳だった2016年に一家で来日。在留資格は「留学」で、高校を卒業したものの、夫婦には実子がいるため疎遠になり、専門学校在学中にうつ病も発症。学校の出席日数が足りずに退学となり、在留資格を失い2024年8月に東京入管に収容され、11月8日に強制送還された。 ◆母国で途方に暮れる 11月11日の夜、ブラジル・サンパウロの空港のベンチで、ミサキは悔やんでいた。 (こんなことなら、支援者のアドバイスをもっと聞いておけばよかったかも。すぐにブラジルに帰ると決めないほうがよかったかも) もう3日間も、この硬いベンチで過ごしている。治安が悪く、バッグなどが盗まれないかと気が気でない。昨晩も、一昨晩も一睡もできなかった。 おそらく今夜も眠れないだろう。 お金がほとんどないため、空港に着陸してから食事もほとんど食べていない。クラッカーで空腹をしのいでいる。 持っているお金は、ボランティアの支援者たちが寄付してくれた2万円しかない。今後に備え、簡単に使うわけにはいかない。 ◆身寄りはなく 東京入管の護送車に乗せられ、成田空港に連れて行かれたのは4日前の11月8日朝だった。午後8時半に飛行機にひとりで乗せられ飛び立った。 韓国やドバイを経由し、サンパウロの空港に降り立ったのは32時間後。現地時間では9日の夕方だった。 母国ブラジルでは孤児として施設で育ち、9歳で日系人の養父母に引き取られ、12歳で養父母と一緒に日本に渡った。 8年ぶりに帰ったブラジルに、世話をしてくれる身寄りは思い当たらない。まず最重要なのは、一時的な滞在場所の確保だ。 ◆一刻も早く 早速、日本で在東京ブラジル総領事館が連絡しておいてくれたはずの移民用の施設に電話してみた。しかし、「空きがないので待ってほしい」との答え。 次の日も電話してみるが、やはり「空きがない」。 ミサキは、途方に暮れた。 日本の支援者たちは、国際機関の支援策の活用などを助言してくれていた。 (利用しておけばよかったかも)と、一抹の後悔が頭をよぎる。 しかし、一刻も早くブラジルに帰りたいと願ったのは事実だった。それはあまりにつらい収容所の現実に直面していたためだった。 ◆手記に書き付けた絶望 〈もう入管やだ!! はやく国に帰りたい。今日も泣いたし気持ちがバラバラすぎる。今も泣きたいし、やだ!!〉(11月4日) ※日記からの引用は、読みやすくするため誤用や仮名遣いなどを修正している場合があります。 ミサキはブラジルに送還される予定日を4日後に控え、日記にこう記していた。東京入管に収容され3カ月余り。20歳の女性の精神は、限界に達していた。 まずミサキが苦しんだのは食事だった。 〈ごはんはただ(無料)なのは分かるけど、それでもわたしは人間だよ!! 犬じゃない。けど犬もかわいそう、犬も食べられないかも!!〉(11月4日) ご飯もおかずも冷えており、味がないと感じた。毎回ほとんどを残した。 〈めちゃくちゃつめたかった~!! 泣きそう。牛肉はへんな味がした。ごはんもプラスチックと同じ。味ついている料理を食べたかったな~〉(11月3日) (中略) 外国人支援団体などには「待遇をあえて厳しくすることで帰国を促そうとしている」との見方もある。 これに対し、入管庁は「そうしたことはない」と否定。食事については、宗教上の配慮や必要なカロリー計算などをしているとしたうえで、「契約している業者が運んでくる時間があるので、どうしても冷たくなるということはある」と説明した。 ※全文はソースで。 引用元:…