1 名前:@おっさん友の会 ★:2024/10/19(土) 01:24:10.22 ID:3LmpbQEC9.net 孤独死は、ことさらにその悲劇性が強調される。多くの場合、周囲に誰もいない淋しい最期として報道され、現代社会の闇のように扱われる。 大原麗子、山口美江、梓みちよ、宍戸錠、野村克也ら多くの著名人が家族から看取られることなく、亡くなった。 この人たちは、全盛期は、いつもその人を中心に人だかりができたような華やかな存在だったから ひとりで旅立ったと聞けば、おのずとそこに哀れさのにおいをかぎとりたくなる。 ただ、忘れてはいけない。孤独死することができる人は、死の直前まで自立していた人だけという事実である。 2000年に世界保健機関(WHO)は、「健康寿命」という概念を提唱している。健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」 を意味し、寿命と健康寿命の差は、健康を失って日常生活に制限が生じている期間を意味する。 健康寿命と寿命とがほぼ一致していることが望ましい人生であることは、言うまでもない。 その観点から孤独死を考えてみれば、健康寿命をすでに終えて、お迎えを待っている人が、孤独死できるはずがない。 【中略】 もちろん、家族・親族との不和があったのではないか、年とともに気難しくなって、誰も寄り付かなかったのではないかなど、いくらでも詮索は可能である。 しかし、生涯を自分らしく過ごし、死の直前まで誰の手も借りずに、自分の足で人生の歩みを続けてきたということを忘れてはならない。 【中略】 ●孤独死は、「孤高の死」でもある 人は、孤独死をことさらに憐憫の対象としたがる。人間は弱いもので、自分より哀れな者、惨めな者を見つけたがる。 その人との比較によって、本当は情けない自分を、それでも何とか持ちこたえさせようとする。 しかし、孤独死に関しては、大きな誤解がある。そもそも、独居高齢者が皆、淋しくて、辛くて、悲しい存在ではない。 そのように見なすことを、大きなお世話だと感じる、誇り高き高齢者もいる。 核家族化した今日にあっては、独身の高齢者のみならず、配偶者と死別した人も、単身生活を送っている。 この人たちを押しなべて、哀れで、みじめで、気の毒な存在と見なすことは、まったくもって失礼な話である。 まして、孤独死についても、その多くは、「みじめな死」どころか、「誇り高き死」ですらある。 続きはWedge ONLINE 井原 裕 獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科教授・虎の門山下メンタルクリニック 2024/10/16 引用元:…