1 名前:ばーど ★:2024/10/05(土) 17:55:36.65 ID:Aq22hs82.net 日々、存在感を増す在日中国人。数億円のタワマンを買ったり、爆買いしたりといったイメージが強いが、その人口は約82万人(’23年末、出入国在留管理庁)に上るなど、山梨県や佐賀県とほぼ同等レベルとなっている。 【写真】すごい…日本人は来店禁止!中国人専用風俗に潜入した記者が撮影した「衝撃の内部」 とくに多いのは東京都で、約25万人を超える。東京にいれば、仕事でも、家の近所でも、中国人に出会わない日はないといっていいほどだ。一体なぜ、いつの間に、それほど日本で暮らす中国人は増えたのだろうか。彼らの来日の歴史を簡単にひも解いてみたい。 中国人の本格的な来日は今を遡ること40年以上前、中国の改革開放(1978年)以降、’80年代からだ。 当時は国費留学生など、中国政府から選ばれた超エリートが多く、その頃に来日した人の中には、政府から「将来、国家の役に立つ人材となるため、ドイツか日本のどちらかに留学してもらう」などと一方的に言い渡され、結果的に日本に来ることになったという人もいる。 学業だけでなく、家庭環境、政治思想に問題のない、ごく少数の精鋭だけが日本に来ることを許された。 その頃の中国のGDPは日本の10分の1以下。エリート留学生も建設現場などで身を粉にして働かなければ生活できない苦学生だった。当時、頻繁に耳にした合言葉は「日中友好」。苦学生に身の回りのものや食料を分けてあげるなど、一生懸命彼らの世話をする日本人は少なくなかった。 しかし、’90年代に入ると、状況は一変する。「出稼ぎ」目的の中国人が日本に押し寄せるようになったのだ。その中には、福建省を拠点とする「蛇頭」(スネークヘッド)と呼ばれる斡旋ブローカーが手引きし、密航船で日本にやってくる人もいた。 ’00年代になると、「就学生」が急増する。「就学生」とは’00年代前半、日本語学校や専修学校などに在籍する外国人学生に与えられた在留資格のことで、昼間は学校に行き、夜は工場などでアルバイトをした。 地方で経営難に喘ぐ私立大学の中には、中国の仲介業者を介して大勢の留学生を受け入れたところもあったが、その一部は大学に通わず、失踪したり、出稼ぎしたりしていて、社会問題に発展した。 こうした実態が明らかになったことに加え、’90年代~’00年代前半は中国人の犯罪が急増した。警視庁『警察白書』によると、’07年の国籍別外国人の検挙数で中国人はダントツの1位。 年間1万件以上の犯罪があり、日本人の中国人に対するイメージは悪化した。’03年、福岡県で中国人留学生3人による「一家4人殺害事件」が起きたことを記憶しているという人もいるだろう。 ◆数万人単位で増えている「来日する金持ちの中国人」 だが、在日中国人の人口は、’90年の約15万人から’00年には約33万5000人と倍増。’10年になるとさらにその2倍の約68万人に膨れ上がった。 その理由は、中国人が経済的に豊かになり、選ばれたエリートではなく、誰でもお金さえ出せば、自由に日本に留学に来られるようになったことが挙げられる。 かつての留学生は鍋釜、わずかな現金(2万円という人が多い)を握りしめて来日したものだが、この頃になると銀聯カード(中国のクレジットカード)とパソコンだけを持って来日するようになる。 留学ビザも比較的取得しやすくなり、海を超えることが簡単になったことも要因のひとつだ。 留学生だけでなく、仕事や日本人との結婚などで来日する人も増えた。’15年頃になると、銀聯カードはスマホに取ってかわった。出稼ぎ労働者は減少、「中国のほうが日本よりも稼げる」と考える人が増え出したのもこの頃だ。 中国のウェイボー(微博)、ウィーチャット(微信)といったSNSも発達。’15年、『爆買い』がユーキャン新語・流行語大賞を受賞した。すでに日本のGDPを追い越していた中国に住む人々にとって日本は「安くて品質がいい商品が何でも揃う買い物天国」になったのだ。 それを影で支えたのが在日中国人。アルバイトや仕事として、日本の商品を大量に代理購入。中国にせっせと郵送し、荒稼ぎした人もいた。 以下全文はソース先で FRIDAY 10/5(土) 10:00 引用元:…