1 名前:仮面ウニダー ★:2024/04/06(土) 07:18:14.02 ID:n4sdLq8u.net ・控訴審裁判長「なぜ今になって証人申請するのか」 「控訴審を有利にするために手伝うことはないと言いました」 ベトナム参戦軍人で、1968年にホイアンの海兵隊第2旅団の憲兵隊に勤務していたSさん(87)は半月前、 国防部と法務部の法務官だと名乗る2人の人物の訪問を受けた。わざわざSさんが住む慶尚南道のある町まで来ると言った。 彼らはSさんに、裁判の証人として出廷してくれるよう頼んだ。 ベトナム戦争中の韓国軍による民間人虐殺の被害生存者のグエン・ティ・タンさん(64)が大韓民国を相手取って起こした 国家賠償訴訟だった。2023年2月7日、一審はベトナム人原告勝訴の判決を下した。現在は控訴審が行われている。 Sさんを訪ねてきた2人は、被告である大韓民国の訴訟遂行者たちだった。Sさんは4日のハンギョレの電話取材に対し、 「要請は断ったが、大きな圧力を感じた」と話した。 5日午前10時、ソウル中央地裁第1別館312号では、グエン・ティ・タンさんの国家賠償請求訴訟の控訴審の2回目の口頭弁論 (第3-1民事控訴部、チャン・チャングク裁判長)が行われた。グエン・ティ・タンさんは8歳だった1968年2月12日、 クアンナム省ディエンバン県(現ディエンバン市社)ディエンアン坊フォンニィ村の自宅で韓国軍に銃撃されて重傷を負い、 母親ら4人の家族を失った。この事件で74人の村民が殺された。ベトナム派兵韓国軍戦史によると、この時、 フォンニィ・フォンニャット村に現れたのは海兵隊第2旅団(青龍部隊)第1大隊第1中隊。 政府法務公団、法務部と国防部の法務官、法務法人の弁護士など、一審の2倍以上にもなる被告側の訴訟遂行者と代理人団は この日の裁判で、「参戦軍人の証言」のことを切り出した。 「証言してくれる方々を探しているが、面談日程が延期されている。日程が決まり次第お知らせする」というのだ。 彼らはすでに裁判所に提出している準備書面で、「当時、作戦を遂行した第1中隊所属の隊員や、当時の事件を調査した 参戦勇士などとの面談などで、直に陳述を聴取している」とし、 「(彼らは)原審判決によって、この事件で第1中隊が民間人を殺傷したとか、当時の国が事件の隠ぺい工作をおこなったとかの 汚名を着せられたことに対して怒りと遺憾の意を表しながらも、法廷での証言には負担を感じるなどの理由で、 証人として陳述することに難色を示している」と述べている。 これに対して原告のグエン・ティ・タンさんの代理人団は、「特定もできていない証人のためになぜ引き延ばすのか。 韓国政府が控訴した際、ベトナム外務省は遺憾の意を表明しており、このような態度は外交的にも良くない」と述べた。 また「事件当日、村に入ってきた中隊の将校と兵士を1969年11月に中央情報部(現国家情報院)が調査しており、 今も国情院はその資料を持っている。それを改めて探し出すことこそ適切だ」と述べた。 国情院は一審で裁判所に文書提出を求められ、拒否している。 ー中略ー この日、被告側の訴訟遂行者と代理人団は、「1968年の旧ベトナム法(1975年に崩壊したベトナム共和国の法律)を 適用すべきだ」と主張した。しかし、ベトナム法によって外国の軍隊の作戦中の責任が免除されるかについては説明できなかった。 これに対して裁判長は「ベトナム法ではこのようなケースにおいて損害賠償をどのようにするのか、金額や時効はどうなるのか 詳しく説明せよ。被告は国であり、訴訟遂行者もそんなに多いのに、なぜ何の資料も提出しないのか」と述べた。 次の口頭弁論は7月5日午前10時から。 コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr ) 全文はソースから 登録:2024-04-06 01:14 修正:2024-04-06 05:59 引用元:…