1 名前:ばーど ★:2024/01/22(月) 08:01:09.18 ID:Pc/+JQaP.net 原告グエン・ティ・タンさんの国家賠償訴訟控訴審 政府代理人団を2倍に増員も、論理はめちゃくちゃ 「加害者特定すべき」、「57万分の1」荒唐無稽な論理も 実際には130の村で1万人以上虐殺の統計あり この写真は23年前に撮影された。41歳の女性が自分の着ているものをまくり上げ、左脇腹にできた深い傷跡を見せている様子を写したものだ。2001年3月のある日、ベトナム中部にあるクアンナム省ディエンバン県(現ディエンバン市社)ディエンアン区フォンニィ村のある家に、韓国軍による民間人虐殺の生存者と目撃者たちが集まった。写真の主、グエン・ティ・タンさんもその1人だった。その日、グエン・ティ・タンさんは、8歳だった1968年2月12日に、自宅の防空壕に家族と一緒にいたところを銃撃されたと証言した。 この日、カメラの前で当惑した表情でポーズを取っていたグエン・ティ・タンさんは知らなかった。写真を撮影し、取材した記者も、彼女が大韓民国政府を相手取った損害賠償請求訴訟の原告となり、あの日から22年後の2023年2月7日に勝訴するとは、夢にも思っていなかった。 ■「経緯と意図は不穏」 その日、ソウル中央地裁民事68単独のパク・チンス部長判事は、「被告大韓民国は原告に3000万100ウォンと、それに対する遅延損害金を支給せよ」と判決を下した。大韓民国の司法府が韓国軍のベトナム戦争参戦後初めて、戦争中にベトナムの民間人に銃撃を加えた不法行為と賠償請求権を認めた、歴史的な判決だった。 23年前に写真を撮った記者とグエン・ティ・タンさんは、訴訟を予想していたのだろうか。今月19日に開かれたグエン・ティ・タンさんの国家賠償訴訟の控訴審の第1回口頭弁論を前に、被告の大韓民国(政府)の代理人団は、裁判所に提出した準備書面の冒頭で、「原告が訴訟を提起することになった経緯と意図は不穏だ」と述べている。「この事件の訴訟は、原告ではなく、ベトナムにいる原告を訪ねたハンギョレ21の記者らが(グエン・ティ・タンさんを)この事件の訴訟の原告に立て、大韓民国の法廷に大韓民国を被告として提起した訴訟だとみられる」と述べている。 事実関係と法理を優先すべき弁護士たちが「不穏な意図」などと言ってそれを前面に掲げたことはさておき、23年前の報道機関の記者の取材が訴訟を念頭に置いた行動だったというような主張は、過度に非現実的で荒唐無稽だ。このような態度と主張は法廷でも続いた。 19日午後、ソウル中央地裁第1別館312号で開かれたグエン・ティ・タンさんの国家賠償訴訟の控訴審(第3-1民事控訴部、ヤン・ファンスン裁判長)の第1回口頭弁論には、政府代理人団が大挙して出席し、注目を集めた。一審の2倍以上の人数だった。一審にかかわったのは政府法務公団と国防部の法務官(訴訟遂行者)だけだったが、控訴審では政府法務公団と国防部の法務官をはじめ、法務部の法務官と2つの法務法人の弁護士が代理人団を構成した。一審での敗訴を大きく意識し、意欲的に取り組もうとしているように見えた。しかし、一審の結果を覆すほどの証拠と主張はまったく提示できていない。 ■韓国軍がベトナムで57万件の作戦を遂行? 政府側の代理人は控訴理由を説明した際に「国軍は1964年から1973年まで計32万人が参戦し、57万件の作戦を遂行した」と切り出した。57万件の作戦だとは。当時、韓国政府は1964年9月1日から1973年3月23日までに、32万人あまりの国軍兵力を派兵した。期間は8年7カ月だが、それを最大で3130日と見積もっても、1日も休まずに毎日182件の作戦を消化してようやく、57万件という数値が出てくる。 国防部が発行した派越韓国軍戦史によると、派兵兵力が最も多かった1968年(4万9869人)の1年間の作戦総数が120件あまりだ。政府代理人団は、中隊または小隊単位の1日の任務遂行日誌の内容さえ、すべて個別の作戦として処理したのか、おかしな計算を示している。57万対1。つまり、それだけ韓国軍の不法行為を些細(ささい)で実体の分からない事件とみなすことを意図して、このような比を持ち出してきたのだろうか。 (1)以下全文はソース先で (2に続く) (2)の内容 全文はソース先で そ政府代理人団、補強はしたものの準備はずさん ■相互保証、消滅時効などの同じ論理の繰り返し ■ベトナム人は56年間もうその口裏合わせをしていたのか (1) (2) 引用元:…