1:蚤の市 ★:2023/12/24(日) 10:27:24.18 ID:iDtFz5f79.net 日産自動車は、1933年12月26日に鮎川義介氏が設立した「自動車製造」が34年に社名変更して誕生した。鮎川氏は「他のやらぬことをやる」との精神で、35年に日本初の量産車の一貫生産を開始。高度経済成長期真っただ中の60年代に大衆車「サニー」、バブル経済期の88年には高級車ブームを呼んだ「シーマ」など、時代を象徴する車を送り出してきた。 66年発売の「サニー」の価格は41万円から。当時のサラリーマンの平均年収で手が届く車として、マイカー時代の本格的到来を告げた。一方、海外ラリーに挑戦して優勝を果たすと、参戦で培った技術をスポーツカーに投入。「フェアレディZ」はモータースポーツファンを今も引き付ける。2002年に販売を終えた「スカイラインGT―R」は07年に「NISSAN GT―R」として復活させた。 走行中に二酸化炭素を排出しない電気自動車(EV)にも日産は早くから着目。EV時代のリーダーを目指し10年に「リーフ」を発売、三菱自動車の軽自動車EV「アイミーブ」とともに国産EVの先駆けとなった。 もっとも、日産のEVには前史がある。1966年に日産と合併したプリンス自動車工業の前身が開発したEV「たま」の発売は47年。敗戦後の石油不足の中、水力発電の電力を活用した「たま」はタクシーなどで活躍。最高時速35キロ。1回の充電で96キロ走れたという。 日産が三菱自と共同開発し22年に発売した軽EV「サクラ」の売れ行きは好調で、「軽もEV」という時代の開拓に挑んでいる。 自動車業界では、地球温暖化対策として世界的なEVシフトが急速に進む。サクラの国内での快走とは裏腹に、日産は世界のEV市場では米テスラや中国メーカーなどの後塵(こうじん)を拝し、リーダーへの道は遠い。激動の変革期を乗り切るには、創業の精神を引き継ぐ「他のやらない」斬新な車を打ち出していけるかがカギとなる。 時事通信 2023年12月24日07時10分…