1 名前:仮面ウニダー ★:2023/11/17(金) 14:34:05.14 ID:BYYrpRap.net イム・ジョングク賞特別賞を受賞した樋口雄一・元高麗博物館館長 「日本人として、日本が(朝鮮に対して犯した)犯罪行為を立証しなければならないと思いました。 そうしないと、“在日朝鮮人”社会を理解できないし、日本人の考えも変わりません。 日本の犯罪行為は権力者によるものだから、庶民とは関係ないと思うかもしれませんが、決してそうではありません。 警察が中心となった管理体制の枠組みの中に(平凡な)日本人たちも入って(朝鮮人に対する監視活動を)行ったのが、 戦時中の日本のファシズム体制の主な問題です。自分と異なる人を認めようとしないのです」 歴史問題はもう忘れて、韓日、韓米日3カ国の軍事協力を強化しようという「忌まわしい流れ」の中で、 日本が犯した植民地支配の問題を追及することにはどのような意味があるだろうか。 親日派(親日附逆者)研究の先駆者である故イム・ジョングク(1929~1989)先生の志を受け継ぐために作られた 第17回イム・ジョングク賞特別賞を受賞した樋口雄一元高麗博物館館長(83)は10日、 ソウル龍山区青坡洞(ヨンサング・チョンパドン)の植民地歴史博物館で行ったハンギョレとのインタビューで、 「(日本社会は朝鮮を)植民地支配したという事実を完全に忘れているが、(朝鮮人たちを)創氏改名し、労働力として動員し、 徴兵し、日本人にしようとした」とし、「植民地支配がもたらした朝鮮人たちに対する抑圧と加害行為を調査し、 日本人がこれを認識することで、北朝鮮と韓国の人々との友好を実現できるよう努力しなければならない」と語った。 ー中略ー 大学を卒業した樋口さんは、朝鮮について知りたいと思い、当時朝日交流を進めていた共産党系列団体の日朝協会 (1955年設立)を訪ねた。これを機に、朝鮮半島に関心のある日本人研究者やジャーナリストたちが作った 日本朝鮮研究所(現・現代コリア研究所)で活動し始めた。 さらに、彼の人生に大きな影響を与えることとなる琴秉洞(クム・ビョンドン、1927~2008)や 朴慶植(パク・キョンシク、1922~1998)など在日歴史研究者たちに出会った。 特に『朝鮮人強制連行の記録』(1965)という先駆的著作を残した朴慶植が死亡した後、 彼が作った在日朝鮮人運動史研究会を引き継ぎ、今まで「在日朝鮮人史研究」という雑誌(今年10月に53号発行) を発行している。 樋口さんが関心を持っているのは、日本の植民地支配が平凡な朝鮮人たちの人生をどう変えたかだ。 「日本はなぜ朝鮮を植民地支配したのでしょう。コメを収奪するためでした。植民地支配を開始した後、 朝鮮総督府は朝鮮に日本式の農法を導入します。 朝鮮の農民に安価なコメを生産するようにして、日本の国内物価を安定させ、食糧危機を乗り越えるのが基本的な考えでした。 強制動員の労働者たちに、(工場や炭鉱などで)暴力を行使して働かせたと言われていますが、 もっとひどいのは(植民地支配末期)コメを供出した時でした。 警察の立会いの下、供出督励員と面書記が家を一軒一軒を回りながら隠したコメがあるかを捜索し、暴力を振るいました。 農民たちは孤立していたから、組織的抵抗ができませんでした。 生産したコメをすべて供出された朝鮮の農民に残った食べ物は、満州で生産した豆から油を搾った後に出た油粕でした」 キル・ユンヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr ) 全文はソースから 登録:2023-11-17 06:38 修正:2023-11-17 07:31 引用元:…