1 名前:名無しさん@涙目です。:2023/10/24(火) 19:20:25.25 ID:0zvzm91h0●.net BE:866556825-PLT(21500) もしも朝鮮半島にイスラエルが建国されていたなら [ハンギョレS]ホン・ミョンギョの異床同夢 パレスチナと私たち イスラエルとパレスチナの占有面積の変化 今年10月7日以降、世界中の耳目が「パレスチナ」に集まっている。現状をどうみるべきか。歴史に「もしも」はないが、それでもここでは仮想の歴史を考えてみよう。 「モシモ人」と韓民族 今から1888年前の西暦135年、朝鮮半島にあった「モシモ王国」が外国による侵略で滅びた。そこに暮らしていた人々は新たな支配者の迫害から逃れて世界中に散っていった。彼らのことを「モシモ人たち」と呼んでおこう。モシモ人たちは独自の経典と独特の唯一神思想を持っており、自分たちのことを他の民族共同体と大別された「選ばれた民族」だと考えていた。文化・宗教的違いと卓越した金儲けの能力は、時として彼らに成功と試練を与えた。そのため、資本主義の胎動期であった19世紀に至ると、西欧の主流秩序から憎まれることもあった。19世紀後半、東アジア各国では、まさに頭をもたげはじめたばかりの排他的種族主義と共に、「モシモ人」共同体に対する反感の火が燃え広がり、残念ながらこれは20世紀最悪の民族浄化へとつながった。 モシモ人たちは「国を作ろう」という運動をはじめた。ウガンダの人が住まない地、中国とロシアの国境地帯など、様々な地域が有力視されたが、モシモ人の経典にも「約束の地」と記されている朝鮮半島ほど魅力的な場所はなかった。国際情勢を誰よりもよく認識し、大国のエリートたちと交渉する方法を知っていたモシモ人たちは、朝鮮半島を植民統治した日本から国を作ってもよいという承認を得て、朝鮮半島への移住をはじめた。先祖たちがその地を離れておよそ1800年ぶりに「約束の地」に帰還したのだ。 ところが朝鮮半島には、すでに古くから住んでいる人々がいた。数千年にわたって中国大陸や近隣の島から移住してきた人々の子孫である彼らは、自らを「韓民族」と呼び、同質性を保っていた。1948年には人口の94%が「韓人」で構成されていたこの地で、6%にも満たない「モシモ人」が突如として自分たちの国を作るというのは、誰にとっても納得しがたいことだった。しかし、彼らはそれを実行した。全世界的な「モシモ人ネットワーク」と資本があったし、日本と米国の支援も力になった。国連は、朝鮮半島の56%に達する土地を6%に過ぎないモシモ人たちに与えることを決めた。植民統治の終息で解放されると信じていた「韓人たち」は突然の通報に怒った。モシモ人たちは「出て行け」と脅し、銃剣によって大災厄を引き起こした。朝鮮半島の先住民に対する民族浄化で数千人が虐殺され、530の村が破壊された。当時の半数以上に当たる人口が、住んでいた土地から強制追放された。これは韓人にとって骨の髄まで深い傷として残った。今も韓人難民は「故郷に帰る」という気持ちを抱いて生きている。一方、今日を生きるモシモ人青年たちは1948年の災厄を知らない。教科書はそのような歴史を教えておらず、関連資料も載っていないからだ。 引用元:…