1: 匿名さん 2023/10/12(木) 11:24:52 こども政策担当大臣に抜てきされた女性閣僚の目玉、加藤鮎子衆院議員(44)。だが、地元の山形を丹念に訪ね歩くと、聞こえてきたのは、秘書の大量退職、スピード違反強要に“グレー”な戸別訪問……。表の顔からはうかがい知れない“ブラック鮎子”と事務所の惨状だった。***「突撃なんてダメですよ!」「大将なんだから!」2000年11月20日、夜。ホテルオークラ東京で、森喜朗内閣への不信任案に賛成票を投じようとした“大将”を谷垣禎一衆院議員(当時)が必死の形相で押しとどめていた。苦衷の表情を浮かべ、たたずむのは「政界のプリンス」と呼ばれ、総理候補だった宏池会会長・加藤紘一氏(61)=当時=。一世一代の大勝負を仕掛けたはずの大将は、涙をにじませ、ただただ唇をかみしめるしかなかった――。日本政治史に刻まれた「加藤の乱」でいまも語り継がれる1シーンである。総理の椅子に手をかけようと紘一氏は、仲間とともに時の政権の倒閣を目指した。しかし、宏池会は野中広務幹事長(当時)ら自民党執行部の徹底的な切り崩しに遭い、結果、紘一氏と盟友の山崎拓氏だけで不信任案に賛成すると表明。結局、それすらもかなわず、本会議を欠席し、政治家人生が大きく狂うこととなった。■“おどは突っ込んで戦うべきだ”と涙実は、この涙のワケに、当時まだ20歳を過ぎたばかりだった三女・鮎子氏の存在があったという。「鮎子さんは乱の様子を伝えるテレビ中継を、青山の自宅マンションで見ていたと聞いています」とは宏池会を長く取材してきた政治ジャーナリストの泉宏氏。「鮎子さんも妻の愛子さんも紘一さんが乱を起こすというのは事前に分かっていて“今日はおど(山形弁で父親のこと)の勝負だ”と身構えていたというんです。しかし、鮎子さんは次第に立場が厳しくなる父の様子をテレビで見ながら感情が激し、紘一さんに電話で“おどは突っ込んで戦うべきだ”と泣きながら訴えたといいます。その娘の言葉が脳裏に浮かび、思わず涙したのが真相でしょう。今、振り返れば、この『加藤の乱』が鮎子さんに影響を与え、紘一さんの後を継ぐ、という強いモチベーションにつながったことは間違いないはずです」 冷凍食品で美味い物を教えて…