
1: 匿名 2026/10/27(火) 21:50:48 日本では、大手武器メーカーはもとより、他の産業分野のメーカーや楽天などの製造業ではなかった企業、そして多くのスタートアップがこぞって武器産業に参入しつつある。波及効果として、そこに多くの優秀な人材が吸い寄せられていくことになる。日本の産業構造が、武器産業を中心に大きく変わるのはもちろんのこと、大学教育や研究の場にも大きな影響を与えるのは必至だ。このような実態を見ると、「継戦能力」は、戦争になってから問題になるのではなく、その強化を始めるという戦争の前の段階から、日本経済を事実上戦時体制下に置くことにつながっているということに気づく。つまり、戦時と平時の間には「切れ目」がなくなっているのだ。政府はよく「切れ目のない安全保障法制の整備」ということを言ってきたが、実は、法制度だけでなく、実際の経済社会の体制がすでに戦時と切れ目のない状態に入りつつある。それは、戦争が始まった時、突然さまざまなことを大きく変化させるということでなく、すでに準備された体制がスムーズに戦時への移行を可能にするということだ。国民に、戦争に向かうことへのためらいを感じる暇(いとま)を与えず、ごく当たり前のように社会が戦時に適応して動いていくと言っても良い。もちろん、そうなるためには、徴兵制などまだいくつか整備が必要な課題はあるが、それが一つ一つクリアされ、完成に近づいていることに人々は気づいていない。それにしても、中国との長期戦を戦う準備をするということの意味を高市首相はわかっているのだろうか。中国との長期戦、しかも、日本が戦場になることを想定して、シェルターを造るなどと言っているが、それによってどれだけの人が犠牲になるのか。何万、何十万、何百万という人が氏に、その何倍もの人が傷つく。それが、「国を守る」ということだろうか。そんなことは、何が何でも避けなければならない。そのためには、中国との間で、何が何でも再び戦火を交えることはないというコンセンサスを作ることに最大限の努力を傾けるべきなのではないか。しかし、高市首相は、「中国と首脳間で話をすることができない、世界でも極めて珍しい国、日本」という状態を作ってしまった。そんな人が、中国との「継戦能力の強化」と声高に唱えるのを見ると、身の毛がよだつほど恐ろしくなる。「新しい戦前」という言葉があるが、その段階はもしかしたら過ぎてしまったのかもしれない。もはや今は「戦前」ではなく、「平時」だと思っているうちに、そこから切れ目なく、事実上の「戦時」に入りつつある。あるいは、すでに入ったのかもしれない。そのことに、私たちは気づかなければならない。…