1 名前:煮卵 ★:2026/10/26(月) 16:06:40.81 ID:+bNZEEfa9.net 第91代首相を務めた福田康夫(ふくだ・やすお)氏が22日、死去した。90歳だった。群馬県出身。昭和11年に後の第67代首相、福田赳夫(たけお)氏の長男として生まれ、平成19年に憲政史上初となる親子での首相となった。 衆院議員引退後は国会近くに事務所を構え、現職議員や官僚らの訪問が絶えなかった。外交活動も精力的にこなしていた。ところが、一昨年に体調を崩してから活動が極端に減少し、「気圧の変化で呼吸がつらくなるんだよ」と訴えるようになっていた。 ■裏方のように進め…官僚から頼りにされ 表舞台で華々しく行うよりも裏方のようになって進めるのが福田流であり、『影』になることで存在感を出した。 小泉純一郎政権のとき、自衛隊のインド洋派遣やイラク復興支援などの重要政策について、関係省庁の閣僚や官僚を官房長官室に連日のように招集し、法案策定などを主導した。「影の外相」「影の防衛庁長官」と称されるようになった。 感想を問われた記者会見では「しょせんは『影』ですから」とクールに返したが、官僚らからは「意外な決断力」と評され、頼りにされる存在になった。 福田政権は、衆参の与野党勢力がねじれ状態になる中、野党との協調を期待されて誕生した。 しかし、野党の協力を得られず、国会運営は滞り、「決められない政治」となって、世論の当初の期待は失望に転じた。世論を突き動かすだけの強い指導力を見せられない福田流の限界だったといえよう。 党首討論で国会運営について「かわいそうなくらい苦労している」と吐露し、退陣表明の記者会見で「(発言が)ひとごとのように聞こえる」と指摘されると、「私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたと違うんです」と反論したのは有名だ。 ■石油会社勤務で「資源のない日本」痛感 外交に力を入れたのは、石油会社に勤め、「資源のない日本は世界と仲良くしないと生き残れない」との思いを強くしたことが根底にある。「世界の中の日本」を意識した父、赳夫元首相の政治活動も影響したとみられる。 中国とは、日中関係が冷え込んでいても中国の首脳らに厚遇された。 「親中派」と言われても「面倒な隣人であっても、国の引っ越しはできないから付き合わねばならないんだ」と臆することはなかった。 初当選後、官房長官に起用されるころまでは、父の跡継ぎと言われたくないためか「好きで政治家をしているわけでない」を口癖にしていた。 晩年は、父が残したメモを第三者に託して『評伝 福田赳夫』(岩波書店)を完成させた。政敵だった田中角栄元首相と比べて世間の注目や関心が低い父に光を当てたいとの思いからだ。 完成後は「政治家福田赳夫の実像を後世にしっかりと残せた」と誇らしげに語った。(今堀守通) [産経新聞] 2026/10/26(月) 15:33 ※関連スレ 【訃報】福田康夫元首相が死去 日中関係の改善に尽力、「大連立」を模索 [少考さん★] 引用元:…