
1: 名無しダイエット 2026/09/21(月) 11:19:59.46 ID:??? TID:gundan 筆者は長くタバコに関する記事を書いてきたが、よく「そんなに害があるなら販売を禁止すればいい」という声が寄せられる。この問いは的を射ているのだろうか。禁止できない理由とは何か、そもそもタバコを吸う行為は「個人の自由」として擁護できるのかを考えたい。 タバコに批判的な記事を書くと、必ず喫煙を擁護する論拠として「愚行権」を持ち出す読者が現れる。 愚行権とは、他者に危害を及ぼさない限り、本人にとって不利益な行為であっても公権力はむやみに干渉すべきではないという考え方だ。その根拠として、英国の思想家ジョン・スチュアート・ミルが示した「危害原則」がしばしば引かれる。 害があるとわかっていても自分の身体でそれを引き受けるなら、他人が口を出す筋合いはない。この理屈は、喫煙にもそのまま当てはまるのだろうか。 ミルの議論が主として想定していたのは、判断能力を備えた成人による自己決定である。ただし、形式上は本人が選んだ行為でも、重要な情報が隠されていたり、依存によって選択能力が大きく制約されていたりすれば、それを十分に自律的な自己決定と呼べるのかという問題が残る。 したがって、喫煙を愚行権で擁護するには、少なくとも、害に関する十分な情報、そして依存に強く左右されない選択、意思が確保されているかどうかが問われなければならない。 タバコはどうだろう。ここで二つの事実が、喫煙をめぐる愚行権による自由な選択という前提を崩す。その一つは、ニコチン依存だ。喫煙者の相当数は、健康影響を遠い将来の問題として捉えがちな10代から20歳前後に吸い始める。 このように始まる喫煙を、害を理解した成人がその都度、自由な意思で選び続けている行為とみなすことは難しい。ニコチン依存は自由意志を完全に消滅させるわけではないとしても、禁煙したいという意思を妨げ、自己決定を大きく制約する。 筆者が医療者を取材する中でも、肺がんが進行して初めて「タバコを吸わなければよかった」「どうして害を教えてくれなかったのか」と口にする患者がいるという。このような実態を踏まえれば、喫煙を単純に「本人が自由に選んだ愚行」と片づけることはできない。 これは、ニコチン依存によって自由な選択が大きく制約された結果だ。成熟した個人の自己決定という愚行権の前提は、喫煙の開始年齢とニコチン依存によって崩れる。 もう一つは、前提である正確な知識を、誰が知らせなかったのかということだ。 日本でタバコを広めたのは、ほかならぬ国家である。明治政府は財源確保のためタバコを専売とし、日清・日露戦争では軍からの支給や民間からの慰問品として紙巻きタバコが兵士に広く行き渡った。国家による専売制度と戦争が、男性を中心に喫煙習慣が社会に定着する一因となった。 その後、政府は長年にわたってタバコの製造・販売を担い、民営化後も産業を保護する制度を維持してきた。今も政府(財務大臣)は法律によってJT株の3分の1超を保有する筆頭株主であり、財務省は国内のタバコ産業を保護・育成するためのたばこ事業法を所管する。 年間約2兆円規模のたばこ税収もあり、政府は公衆衛生を守る立場とタバコ産業・財政収入を維持する立場を同時に抱えてきた。この構造は、タバコ規制政策をタバコ産業の商業的利益などから守るよう求めるWHOたばこ規制枠組条約第5条3項との関係でも利益相反を生じさせている。 「誰も教えてくれなかった」という患者の後悔には、明確な主語がある。害を知らせるべきだったのは誰か。タバコ会社、そしてタバコ産業を長く保護してきた政府には、健康被害を十分かつ迅速に伝えず、規制を遅らせてきた責任がある。 受動喫煙対策にも、同じ問題が表れている。2020年に全面施行された改正健康増進法は、飲食店を原則屋内禁煙とする一方、加熱式タバコについては、発生する煙が他人の健康を損なうおそれが「明らかでない」として専用喫煙室内で飲食を認める経過措置を設けた。 しかし、法施行から5年以上が経過した2026年現在も、この経過措置は維持され、加熱式タバコ専用喫煙室では飲食が認められている。この受動喫煙は、愚行権のもう一つの前提である「他者に危害を及ぼさない限り」を崩す。受動喫煙は、喫煙者による明白な他者危害であり、喫煙者の「愚行」とはならない。 加熱式タバコから排出される二次エアロゾルにも、ニコチンや複数の有害物質が含まれる。長期的な疾病リスクはまだわからないとしても、本人の意思に反して他者をそれに曝露させることは、単なる個人の自由では片づけられない。…