
1: ななしさん@発達中 2026/07/29(水) 10:50:05.82 ID:X1m2bOyu9 「○時間しか寝ていない」「ストレスで体を壊した」――自己犠牲エピソードは、なぜ若者たちに響かないのか? 「私なんて昨日、3時間しか寝てないですよ」 会議中の雑談で、そう切り出す先輩がいた。誰も聞いていないのに、なぜか毎回この手の話が出る。 「先月はずっと休日出勤していた」 「子どもが起きている時間に帰ってない」 といった自慢話(?)だ。こんな話を聞かされるたびに、周りは微妙な雰囲気になる。 こうした「頑張っている自分」をアピールする人は、どこの職場にもいる。本人に悪気はないだろう。しかし昔ならともかく、昨今はこの手の話が共感されることはほぼないといえる。 そこで今回は、こうした「不幸自慢」や「犠牲アピール」がなぜ今の時代に響かないのか、そして本当にアピールすべきことは何かを解説する。組織の雰囲気をよくしたいと願っている管理者たちには、ぜひ最後まで読んでもらいたい。 なぜ人は「犠牲」を語りたくなるのか 残業時間や休日出勤の多さ、理不尽な要求に耐えた体験、体調を壊したエピソード――こうした苦労話を、あえて口にする人がいる。 背景にあるのは、承認欲求だ。 会社にどれだけ貢献しているか、どれだけ自分を犠牲にしてきたかを語ることで、周囲に認めてもらいたいのだ。自分が望んでいる以上に評価されていない、承認されていないと感じると、こうした形でアピールしたくなる。 (中略) なぜ、犠牲のアピールは今の時代に響かないのか。その理由は、「生産性」の低い話には誰も興味がないからだ。 生産性とは、どれだけ資本を投下して、どれだけの対価を得るか、という指標だ。投じた労力に対して、どれだけの成果を回収できるかという話である。 つまり、犠牲のアピールばかりしていると、 「苦労したのは分かった。それで、どれほどの成果を手に入れたのか?」 「その犠牲に見合った対価はあったのか? なかったのなら、参考にしたくない」 と思われるのだ。 「この10万円のカバンを、交渉して7万円で買った」 という話なら「すごい」「どうやって交渉したの?」と誰でも関心を持つが、 「10万円のカバンなのに、15万円も払っちゃった」 という話なら「それは残念でした」「なんで、15万円も払ったんですか」と呆れられる。 多くの若い世代は、そこまで犠牲を払わなくても同じ結果を出したいと考えている。そのための工夫ややり方を知りたいと思っている。ある意味、それは健全な欲求だ。 それなのに、会議や飲み会の席で「どれだけ苦しかったか」「どれほど辛い日々を送ったか」という話ばかり聞かされたら、どんな思いをするだろう。 ※全文はソースで…